遼寧省錦州義県:青年教師が2回も労働教養に遭い、迫害され死亡
【明慧ネット2006年6月14日】遼寧省錦州義県大于卜中学の青年教師・左中右さんは、法輪功の「真・善・忍」の修煉を放棄しないため、2回も労働教養所に送られ迫害され、錦州労働教養所で心肺・腎機能が低下し、2006年5月29日死亡した。
左中右さん(36歳男性)は、専門学校卒、錦県義県大于卜中学に就職し、1997年から大法修煉を始めた。1999年中共が大法および法輪功学習者に対する迫害を始めてから、左さんは家族と北京に行き上申して、1999年10月に義県看守所に監禁され、2年の労働教養を言い渡された。2000年3月下旬、労働教養所から逃げて、その後も北京に上申に出かけ、興城の駅で連行された。
錦州市労働教養所で、左さんは7日連続で小部屋に監禁され、小部屋から戻ってから悪徳警官の劉懐忠、徐広権などに殴られ、2つの電気棒で背中、首などに電撃を加えられ、皮膚が電撃により腫れ、数日たってやっと消えた。昼間強制的に手錠を掛けられたままで労働を強いられ、夜睡眠時も手錠でベッドに掛けられた。警察は報復として多くの労働を強要しよく罵った。
元政治委員の張海平、副所長の金福力などは、2000年10月12日、自ら警官・劉鉄林や受刑者に命令し、電気棒で学習者に逐次、電撃を加えた。電撃された学習者は、左さん、劉永生さん、石中岩さんなどがいた。張海平、金福力、陳立剛、韓利華が自ら手配し、学習者に対して体罰的強制洗脳を行った。帽子を被せ、両手に手錠をかけて、机で学習者を壁角に押し付け、2人の警官と1人の受刑者が見張り、学習者が睡眠や座ることを許さなかった。さらに彼らは強制的に大法を中傷するビデオを放映し、もし学習者が頭を下げたり、目を閉じたりすると、すぐ棍棒で頭を殴り、電気棒で頭、顔、ペニス、腹などを電撃し、一部の学習者を、鉄の椅子に一日以上も縛った。
左さんらは断食で迫害に抗議した。警官は受刑者と一緒に強制食事注入(灌食)を行い、コーンスープに大量の食塩を入れ、同時に睡眠を許さず、断食した学習者に連続44時間座ったままの姿勢を強要した。それから毎日夜2時まで小さな椅子に座らされた。警官・陳が左さんに灌食するとき、開口器で口をこじ開け、歯を破損し、さらに拳で顔を殴った。左さんは1カ月の断食で激やせし、血圧が危険な状態まで下がり、80/50〜70/50になって、足が腫れた。錦州労働教養所は馬三家医院院長を呼んだ。悪人は「大丈夫だ、馬三家に80日も断食した者がいる!」と言った。左さんは労働教養所で残酷な迫害を受け、重圧に耐えられず心に背いて妥協し、2001年4月25日、釈放された。
2001年10月、左さんが「法輪大法は素晴らしい」と言ったため、連行され、断食で抗議したが、再び2年の労働教養を言い渡され、錦州労働教養所でいろんな拷問を受けた。ある時3人の受刑者に警察の指示で殴られ、4つの電気棒で同時に電撃され、長期間、小部屋に監禁され、鉄の小さな椅子に座り、長期間睡眠を許されなかった。
2002年7月、錦州労働教養所は、しっかりした学習者に対して狂ったように迫害を加えた。院長の張海平がみずから指揮し、しっかりした学習者を迫害し、「心理矯正」と名づけた。左さんは尹傑錦、焦中華、張会東らにより殴られて太ももの肉が腫れた。胸に尹傑錦から50〜60回、攻撃を受け、10数日も赤く腫れていた。左さんは3カ月間ずっと手錠をかけられたままで、毎日朝から晩まで15時間も座るよう命じられ、一日3回しかトイレに行くことを許されず、これが4カ月以上続いた。
警官の馮子賓は2003年3月31日夜、用心棒を連れて3階に行き、法輪功学習者・李忠傑さん、左中右さんなどを2階の小部屋に連れて行き、李さんを手錠で十字型に固定した。悪人の郭偉賓などは「上からの命令があって、好きなように殴っていいんだ」と言い、悪人たちは李さんと左さんをひどく殴った。
左さんは大法をしっかり修煉し、75キロもあった若者が、錦州労働教養所で45キロまで体重が激減し、危篤状態になった。労働教養所は衰弱しているのをみて、治療代を払うのが嫌で、死亡した場合の責任を負いたくないためか、2003年9月、家に戻した。左さんは釈放される数日前から、毎日嘔吐し、咳が激しく、釈放されたとき、家族はほとんど左さんを見分けられなかった。
左さんが家に帰ってからも労働教養所からのいたずら電話を受け、体がまだ回復していないのに、学校から10人が来て保証書を強要し、仕方なく親友の家に移った。この数年間の迫害で、左さんの心肺・腎機能は非常に低下し、咳が激しく、歩くことができず、正常に仕事ができなくなった。2006年5月29日午後4時40分、死亡した。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/14/130395.html)
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