日本明慧


一歩一歩「真、善、忍」に近づく  

 文/Guus(オランダ)

 【明慧ネット2006年5月24日】 親愛なる同修たち

 私は「グス」といいます。オランダのブラバントの法輪功学習者です。今年19歳で、18歳の時法を得ました。小さい時から私は説明できない物事、例えばUFO、宇宙人、特殊能力のある人などにとても興味を持っていました。またこれらの超常的な物事の存在を疑ったことはありません。

 およそ16歳の時、私は東洋武術に接し始め、ますます夢中になりました。多くの武術はみな気を使います。気を運ぶことを通じて、人はいつくかの超常的なことをやり遂げます。だから私は気に対して、深い興味を持っていました。そして気功と太極拳にも接し始めました。およそ17歳の時、私は母と一緒に太極拳を練習することにしました。太極拳をやることによって、自分のエネルギーを増強することができるので、私は太極拳をやるのがとても好きでした。しかし、間もなく本当に真面目に練習しているのは大体自分一人だけであることに気づきました。他の人たちは練習の時、ただニュースや日常の些細なことを議論しているだけでした。私はこれらはとても無礼だと思いました。

 太極拳を一年間した後、私は他のものを探そうと決心しました。私は一つの法輪功のウェブサイトを覚えていて、それを見ることにしました。最初私は動作を教えるビデオを見ながら五式の動作を学びました。たまたま『法輪功』をも読みました。しばらくして、『轉法論』を読み始め、ますます法輪功に対して深い興味を持つようになりました。最初の私の目的は法輪功を通して私の特殊功能を開発しようとしたことを認めます。しかし、すぐその考え方を変え、心性も向上し始め、私は一人の正真正銘の法輪功学習者に変わりました。修煉は本当に私の生活と私の内心の状態を変えてくれました。以前私はとても我慢できない人で、小さいことでもすぐ緊張しました。色欲もとても強かったのです。私は自分の性格がとても不安定であることに気づきました。例えば、先週私はとても強い人で、今週はとても感性的な男の子に変わり、来週は冗談好きな人に変わり、再来週はとても静かな人に変わります。しかし、法輪功を修煉した後、私はやっと本当の自分に近づき始め、私の本性も一歩一歩「真、善、忍」に近付き始めました。

 休暇の間、倉庫でアルバイトをした時のことです。倉庫にはいつも数台のフォーク.リフトが行ったり来たりしていましたが、その中の一台が不注意にも、私の足の上をひいて通り過ぎました。倉庫では必ず作業用の靴を履く規定があり、当時私も履いていました。フォーク.リフトが足の上を押さえながら通って行った時、靴の前の部分が全部押されてぺちゃんこになったような感じでした。そして丁度その時、足の指先を通って行きました。後になって聞いたところ、普段このような場合、鋼鉄で作られた靴の前部分は切断され、足の指も切断されるということでした。しかし、師父が私を守って下さったため、私にはこのようなことが起きませんでした。運転手はとても驚いていました。しかし、私はとても冷静で、全然怖くありませんでした。私は彼を責めなかったし、全然怒りませんでした。

 もう一つの体験は、私が友達と一緒にディスコのダンスホールに行った時のことです。とても美しい長い金髪の女の子が私からとても近い所に立っていました。彼女は私の前でひらひらと踊っていて、しかもますます近づいて来ました。そして私に向かってとても親しげなしぐさをし始めました。私はただ笑うだけで、彼女に同調しませんでした。ちょうどその時、彼女の友達が来て、私たちの間に入ったので、このことはこれで解決されました。私はもう一つのディスコのダンス.パーデイでも同じことに遭遇しました。

 今年、私の心性も絶えず向上しています。例えば五式目の動作をする時、最初30分も堅持できませんでした。最近は、何回か一時間やり遂げた時があります。その時私が思ったのは、私は真の「忍」をやり遂げるべきだということでした。それは何の憤りも持たない「忍」で、足を下ろすべきかどうかもまったく考えなかったことです。

 私は「忍」は真の力量だと思います。常人が話しているのはすべて表面的な力量です。例えば丈夫な筋肉など。しかし私は真の力量は「大いなる忍の心」からきて、大きな岩のような堅固で動揺しない信念を持つことであると思います。「善」は私から見るととても美しいものです。常に友好的で、礼儀を保ち、周囲のあらゆるものに対して慈悲が生じます。他人の身になって全面的に他人のことを考えます。常人は七情六欲のために生きます。逆に神は慈悲であります。感傷的なことは「私」であり、しかし慈悲はちょうど逆です。私はこのように思っています。

 「真」は私にとって真実を意味し、自然に従うことです。もし「善」と「忍」をやり遂げられるなら、私は彼が「真」も修煉すべきだと思います。それ以外に内心がきれいであればあるほど、外見ももっときれいになると思います。そうではない場合は逆になります。そして次元が高ければ高いほど、もっと美しく現れます。

 次は真相を伝える中での私の体験を話したいと思います。私はいつもネット上で真相を伝えています。特に最初のころ、私は多くのフォーラムで人々と法輪功と法輪功が受けている迫害に対して議論し、彼らに請願書にサインして反迫害を支持する意思があるかと聞きました。特にいくつかの精神方面の話題を重んじるフォーラムでは、比較的よい反響がありました。そして私はもっぱらこの人たちに真相を伝えようと決心しました。私の経験によれば、これらの人はもっと救いやすいからです。私はしばらくの間このようにしましたが、突然自分が間違っているような気がしました。私はただこれらの精神生活を重んじる人だけに気を配っていました。私は自分に聞きました。もし戦争の時、至る所に負傷者がいたら、私はだれを先に救うのか? 重傷者か軽傷者か? 私が話したいことは、そのときから私はもっと中国人に関心を持ち始めたことです。それは彼らが他の人より毒害をさらに深く受けているからです。私は中華料理店に手紙を書き、中国語ウェブサイトに電子メールを送り、オランダの中国組織に手紙を書きました。私はまたアジア人が開いた小料理店に邪党を暴露する資料と『九評』を送りました。みなさんも分かるように、今たくさんの小料理店やレストランはみな中国人或いはアジア系の人が経営しています。これは私たちに真相を伝えるよい機会を作ってくれました。ここで私はみなさんに自分が住んでいる区域や周りの環境に関心を持つことを提案します。 

 最近私もトヘンポスとハーグの中国大使館前の抗議活動に参加しました。以前私はずっと表に出て行きませんでした。しかし、私はずっと法を広げる活動に参加したかったのです。しかし私にはあちこち駆け回った経験もないし、バスや汽車に乗ったことも少なかったのです。今私は表に出て来ました。私は自分の次元が向上していることを感じ取りました。他の同修と接触でき、そしてこのような天象の下で一緒に大法のことをする、このような体験は実にとても素晴らしいことです。

 最後に私はすべての私のように長い旅の苦労が嫌で、法を広げる活動に参加しない学習者たちに、いずれにしても活動に参加することを希望します。これはまさに今生に一度しか体験できないことです。このような機会を失わないようにしてください。

 (2006年オランダ、ベルギー、ルクセンブルク法輪大法修煉体験交流会の発言原稿)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/24/128624.html