吉林省延吉市:法輪功学習者・郝迎強さんが迫害により死亡
【明慧ネット2006年6月16日】吉林省延吉市の法輪功学習者・郝迎強さんは現地の610、公安局と刑務所の悪徳警官らの持続的な迫害により、全身の傷の痛みに苦しみ、2006年6月8日に死亡した。
信条を放棄せず、何度にもわたり迫害を受けた
漢民族の郝迎強さん(49歳男性)は、吉林省延吉市糧食備蓄庫の保衛科の元課長だった。1999年7.20に法輪功に対する公然とした迫害が始まってから、延吉市の警官らは郝さんに対して持続的に残酷な迫害を開始した。
郝迎強さんは2001年1月9日の昼ごろ、当時延吉市公安局の政保科の肖彬、金永一、崔某某らに強制的に逮捕された。法輪大法修煉を理由に不法にも3カ月間拘禁された後に1年の労働教養を受けた。家族は彼の安否がとても心配で毎日関連部門で情況を尋ねたが、返事はなかった。結局、最後に家族は延辺州労働思想改造管理委員会、州市公安局政保科、法治科およびその他の部門に2万元を越える金をゆすり取られて、やっと郝さんは釈放された。
郝さんは法輪功修煉を放棄しなかったため、2001年、会社から解雇され、生計の道がなくなり、その後はゴミ拾いで生活を維持した。2001年9月2日、郝さんは吉林省竜井市八道鎮で真相説明を行う際に告発されて、竜井市朝陽川鎮派出所にむりやり連行された。そこで悪徳警官らは郝さんから強制的に400数元のお金と腕時計を奪った。郝さんが身につけている服以外のすべてのものを奪い取り、しかも5〜6人の悪徳警官らは一緒になって様々な刑具を使って郝さんに残虐な迫害を加えた。
竜井市留置場に拘束された期間中、延辺州610主任の邰景林が自ら州公安局の陳×竜、孟××などの悪辣な警官を連れて竜井市留置場にまで来て郝さんに対し野蛮な迫害を加えた。邰景林の指示の下で州公安局の陳×竜、孟××と竜井市公安局政保科のスタッフ、その他竜井市留置場の悪人らは、ぐるになって、立つことさえできず、口から血を吐いている郝さんの両腕を後ろに引っ張って体と90度の角度になった状態で縄でつるし上げて、死に物狂いで郝さんの頭部、胸部、背中、腰部をめった打ちにし、わざと腰掛けの四方の部分で郝さんの骨の部分を打った。郝さんの全身の傷口は裂けてしまい、血まみれになった。このような悲惨な状態にもかかわらず、悪辣な警官らは郝さんを刑具の椅子に乗せて、いわゆる「飛行機乗り」といって、電気棒で電撃を与えた。10数人の邪悪警官が、3人が一組になって交替で郝さんに拷問を加えた。この組が疲れたら交替で次の組がやってきて、続けて郝さんに拷問を加えながら自供を強制した。悪警官らは刑具を問わず、あるだけ使って迫害し、その上殴ったり蹴ったりした。この期間中悪辣な警官らは郝さんに水、食事とトイレを禁止し、連続でまる4日間に亘って残酷な迫害を加えた。迫害後は強制的に郝さんを延吉市留置場に移した。
不法にも8年の刑罰を下され、邪悪らの迫害によって命が危機に陥った
郝さんは、延吉で8カ月以上拘禁されて、2002年5月、延吉市の偽りの裁判所の裁判長・李哲、裁判官・費雲竜、李青石、書記の許佳晶、検察官の劉吉昌などのでっち上げで慌ただしく罪名をつけられ、秘密に8年という重い刑で吉林刑務所に移動させられた。
郝さんは吉林刑務所に閉じ込められた後、刑務所の職員の孟海軍は、受刑者の王洪敏(延吉人)、郭洪剛(吉林市人)などに指図して郝さんに対して長期にわたって非人道的苦痛を与えた。郝さんは24時間これらの受刑者の監視と制御の中で、毎日悪人から罵られ、殴られるなど肉体の苦しみを受けた。ある日、郝さんはトイレに行く時、悪警官らに声を掛けなかったことにより、受刑者の王洪敏、王竜河などから板と腰掛けを使った暴力を受けた。頭部、腰部とあばら骨、左顔の骨を折るなど、甚だしきに至っては腰部に深刻な傷を負わせられ大きな穴ができた。
吉林刑務所の長期に亘る残酷な迫害により、2003年4月ごろ、郝さんは迫害を受けつくして別人のように変わった。もともと80キロの体重で体がとても強健であった郝さんの体重は40キロにも足らない貧弱な「小さいお爺さん」の様になった。腹は四つ子を妊娠している妊婦のように膨らんだ。二つの病院で診断を受けたが肝硬変腹水の末期だと言われた。余命3カ月しかないということでやっと郝さんは在宅治療を受けるようになった。
吉林刑務所から出てきた郝さんは、気息奄々となり、完全に労働能力を失い、一元の生活保障もなかった。食事は生存のための基本となる一番大きな問題だった。しかし、延吉市公安局の国保大隊と派出所のスタッフらは、依然として郝さんの家に乱入し、不法に家財を差し押さえ、脅迫と監視をした。
2005年2月、郝さんは自ら竜井市、延吉市と吉林刑務所で迫害を受けた事実を明慧ネット上で暴露した。前後の見境もなく怒り出した延辺州610主任の邰景林は延吉市国保大隊、延吉市610、吉林刑務所の悪警らは、2005年3月10日頃、長期にわたって黒嘴子地刑務所に監禁されている妻の楊明芳との面会のため長春に行った時、郝さんは体がまだ完全に回復していない状況にも関わらず強制的に吉林刑務所に入れた。
悪徳警官の肖彬は、再度、郝迎強さんの釈放を邪魔した
郝さんは獄中で再び迫害を受けて2005年9月、命が危篤の状態に陥った。吉林刑務所は2回目の仮釈放を考えていた。悪警官の肖彬は自ら吉林刑務所にまで行って現地が受け入れることに賛同しなければ延吉市610事務室も受け入れないと言いながら仮釈放に反対した。現地の3つの派出所は肖彬の圧力の下で受け入れに署名できず、仮釈放は失敗した。
郝さんは吉林刑務所で28日に亘る絶食抗議を行い、2005年12月20日、刑務所は重病であると家族に知らせた。郝さんは2人の人に支えられて、控え室で家族と面会した。郝さんは吉林刑務所で一番深刻に迫害を受けた中の1人であり、トイレに行くときでさえ人の支えが必要となった。吉林刑務所は彼の余命は最長2カ月と診断した。しかし、吉林刑務所に対する延吉市国保大隊副隊長の肖彬の何度にも亘る圧力のため釈放できなかった。2006年4月30日に郝さんは危篤に陥り、監獄側は刑務所の中で死亡することを恐れて現地が受け入れるか否かに関係なく、第2次釈放に同意した。
80歳の母親が息子の最後を看取り、その辛さに言葉がない
郝さんが出てきてから、家族は彼の腰部のリンパが腐ってできた穴から骨が見えることに気づいた。顔面左の骨にひびが入り、肺部積水による呼吸困難、指先が青くなり、鬱血など明らかに打たれた痕跡が残されていた。右耳の聴覚がなくなり、大便には血が混じり、肝臓は殴られて破裂したことにより肝機能が喪失し全身が腫れ上がった。毎日ベッドに横たわり、寝返りをうつことさえできなかった。2006年6月8日、郝さんは苦痛の痛ましい叫び声の中でこの世を去った。
郝さんの81歳の母親は、息子の悲惨な若死に悲しみのあまり死にたいと思い、頭を地面にぶつけながら、悪人の肖彬と吉林刑務所を探して息子を返してくれと叫んだ。「何故私の息子を死に追いやったのか」と、邪悪らを追及している。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/16/130558.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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