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河南博愛県の法輪功学習者・劉改さんが迫害で死亡した情況

【明慧ネット2006年6月14日】河南省焦作市博愛県の法輪功学習者・劉改さんは、2002年9月26日に悪らつな警官らにより不法に逮捕され、27日迫害により死亡した。家族が火葬場で目にしたのは、真っ裸の状態のまま黒い袋に入れられていた劉さんの死体だった。両腕は同じく10センチぐらい切られており、4センチほど大きな傷口が残っていた。両手の肉は二箇所大きく切り取られていた。

 火葬場は博愛県栢山鎮太行山のふもとに位置しているが、山には羊を放牧する人がおり、毎日火葬場の近くで羊を放牧しているという。彼の話によると、かつて医者たちが火葬場に入って行くのを見かけたことがあるが、中で何をしていたのかは分からなかったという。何日か経って、火葬場側は自ら2万元(人民元)の賠償金を支払うと言ったそうだ。しかし、死者の家族が田舎で農業を営む農民で、知識レベルも低いことを知った火葬場側は、なんと5千元も差し引いた額を賠償金として支払った。

 劉改さん(54歳女性)は、博愛県の栢山鎮柏山村に住んでいたが体は弱かったという。98年彼女は大法を得て「真善忍」に基づいて法輪功の修煉をしたおかげで心身ともに受益した。共産党悪党が法輪功に対して残虐な迫害を開始して以降、彼女は強制的に次から次へと家宅捜索をされるなど、さらに不法逮捕、拘束、刑罰を下された。

 2002年9月22日、劉さんは悪らつな警官の気が狂ったような迫害を避けるため、二番目の嫁と一緒に張如集公社にいる親戚の家に農繁期の手伝いに行った。しかし、現地の不法人員の李応浩、李志有、孫陸軍らは死に物狂いで追跡をあきらめず、その中でも悪らつな警官の李応浩は栢山派出所に彼女を逮捕するように指示した。彼自身は車の不都合で自ら行動することができず、張如集公社派出所に連絡を取って、彼らに逮捕を命令した。

 9月26日、悪らつな警官らは劉さんの家に行き、家族をだまして詳しい住所を聞き出し、その夜、劉さんを不法逮捕して張如集公社派出所に引きずって来て自供を強制した。当時二番目の嫁が付き添って派出所に行ったという。

 張如集公社派出所について嫁がトイレに行って戻って来た時、劉さんはすでに気息奄々となり、意識を失っていたという。劉さんは張如集病院に運ばれて緊急措置を受けた。当時、悪徳警官らは非常に凶暴で横暴だったので、嫁は救いようもない状況下で家に戻ったという。家族はお金もなくまた恐怖のため、勇気を持って病院に行って劉さんの様子を見ることができなかった。劉さんの親戚は彼女の死体がごみの中(腐った草の中)に捨てられているのを発見し、すぐさま劉さんの家族に知らせた。家族はそれでやっと張如集公社派出所に行って劉さんの死体を尋ねた。

 劉さんの家族は、死体はすでに火葬場に送ったと告知された。農村部には風習があって、人は死ぬと必ず家に戻して冥福をお祈りする(特に子孫の多い家柄)という。体を綺麗に拭きあげ、新しい服を着させてから慰霊用の紙銭を燃やしながら入館して埋葬することで極楽往生を祈るという。しかし、悪らつな警官らは劉さん家族の要求を拒絶し、肉親が最後に一目見ることすら許さなかった。 劉さんの親戚、友達、隣近所、村幹部と大勢の村民の何度にも渡る要求のもとで、しばらく経ってからやっといやいやながら承諾した。しかし、ただ息子と息子の嫁だけに一目見るようにして、娘には見させなかった。

 息子さんと嫁は死体を見て驚きのあまり大きい声を上げて叫び出した。彼らは死体を抱えて外へ走りながら大声で「私の母親は殺されたのだ」と叫んだ。劉さんは真っ裸になった状態で黒い大きな袋の中に詰められていた。両腕は同じく10センチぐらい切られており、4センチほど大きな傷口が残っていた。しかも、両手の肉は二箇所大きく切り取られていた。 この時、中からいきなり20人あまりの保安警官が走って出てきて、 家族が死体を家に引き取ることを許さなかった。家族が劉さんに衣服を着させることも、身内が彼女に近付くことも許さなかった。その後、家族が再三劉さんの顔を見たいと要求すると慌てて火葬場の門をしっかり閉め、開けようとしなかったという。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/14/130396.html