遼寧省庄河留置場:悪警の凶暴残虐な迫害
【明慧ネット2006年6月19日】私たち大連の法輪功学習者・劉洪友さん、劉洪軍さん、劉洪学さん、李春英さん(3男1女)たち4人は、2000年1月5日、大法の正義を取り戻すため、北京へ陳情のために行きました。そこで私たちは現地の悪警らに不法に拘禁されました。悪警らは私たちをめった打ちにしただけではなく、さらに私たちの家族にお金を要求し、さもなければ労働教養させると脅迫しました。
私たちは北京に着いてすぐ不法に逮捕されました。私たちと遼寧省庄河からの4人の学習者合わせて8人が一つの部屋に監禁されて不法に尋問を受けました。それから現地派出所は私たちを直接庄河留置場に送り込みました。
留置場で、学習者がただの一枚の薄い服を着ただけで、氷雪天地をおおうばかりの寒さの中、戸外で微動もせずまる一日立っているのを私たちは見ました。夜帰って来た時その学習者はすでに目の動きがなく、一歩歩くのもやっとのことで、体はすでに凍えて硬くなっていました。翌日、鞠という名前の教官と武装警官2人が私たち16人の学習者(男性4人、女性12人)を回廊に立たせました。そして、武装警官が電気棒を持って恐ろしい形相をして、私たちに凍った糞水の上で腕立て伏せをするように強制しました。それを拒否すると彼らは足で蹴ったり踏みつけたりし、さらに電気棒で頭と首に電気ショックを与えました。劉洪学さんはしゃがんで歩くように強制されて最後には気を失いました。それにもかかわらず悪警らは彼を野菜保管用の柱に吊し上げました。
悪警らは様々なやり方で学習者に迫害を加えました。長い時間同じ姿勢を保たせ微動さえ許さず、腕や足、腰に死ぬほどの痛みを与えます。また、限りなく歯条を使って(歯条は一種の人を殴る時使う棒のこと、打たれるととても痛いが骨には損傷を与えない)苦痛を与えます。特に、4人の男性学習者は、みな1人ずつ呼び出されてめった打ちにされました。殴る、蹴る、棒で打つなど死に追い込むような苦しみを与えました。さらに、めった打ちしながらまだ法輪功をやるのかと聞くのです。学習者たちは、呼び出される度に体がズタズタになるまで殴られますが、その中でも華双五さんと劉洪友さんが特に深刻な迫害を受けました。彼らは毎日瘡㎠困蕕譴疹屬婆瓩辰討④泙靴拭K菷嬪漆④慮紂Ⅲ戮蕕鷲♢此崚掌廚魘④靴泙靴燭♤∋笋燭舛麓抂④陵弋瓩剖呂靴泙擦鵑任靴拭覆爾覆蕁∋笋燭舛蓮嵜拭α院ηΑ廚亡陲鼎い椴匹た祐屬砲覆蹐Δ箸靴討Ⅳ蝓△海譴牢岼磴い任呂覆い㎠蕕任后K[愨臻,呂箸討眩農欧蕕靴い里任后ぎ
何日か経って、学習者たちの手はすべて凍傷で皮が剥けるようになりました。大小さまざまな水泡が多数でき、指の爪はすべて抜け落ちました。知覚を失った皮膚は幾重にも剥けていきました。このような状況下にもかかわらず悪警らは、毎日、歯条で両腕を曲げることもできないまで打ちます。学習者たちはみな自力で生活することができず、互いにご飯を食べさせ合ったりしますがお腹一杯になることはありませんでした。しかも、毎日汚くてとても疲れる仕事を強制されました。
48日が経った後、城管事務所と派出所から一人5千元のお金を持って来れば家に返しても良いという情報が伝えられました。これを聞いて家族は必死にあちこちでお金の工面をし、5千元をきちんと揃えて持ってきてから、やっと家に戻ることができました。劉洪軍さんの家族は悪警の宋詩和から千元のお金をゆすり取られた後、また3千元をゆすり取られてからやっと家に帰されました。
劉洪友さんは親族がいないため、54日経った後、兄が500元のお金を宋詩和に与え、その後また3千元のお金をゆすり取られてからやっと家に帰ることができました。劉洪友さんが法輪功修煉によって迫害を受けてから、奥さんはその間実家に引っ越していましたが、迫害の期間中、竜王廟村の幹部らが絶えず嫌がらせをし、城管派出所の所長の陽文嘉と警官の韓志民(局のほうに転勤している)は、何度も彼の家に行き恐喝しました。
2000年7月、劉洪友さんは新居が竣工し、日にちを決めて引越しを予定していました。7月16日、新居を見に行った際に、警官の韓志民と所長の陽文嘉は劉洪友さんを騙して再び留置場に監禁しました。
再び留置場に入ると、その迫害の度合いもさらに進んで、残酷さを増していたのです。その手段はきわめて残忍でした。40日経ったころ、奥さんと奥さんの弟さん及び彼の友たちが面会に行き、法輪大法の修煉を放棄するように説得しました。劉洪友さんは断固として「それはあり得ないことだ」と言いながら、悪警らに騙されてお金を出さないようにと奥さんに教えました。悪警の宋詩和と所長の陽文嘉はお金をゆすり取ることができなかったため、不法にも劉洪友さんに労働教養2年という判決を言い渡しました。劉洪友さんは庄河で5カ月間不法拘禁されてから大連留置場に移送されました。大連留置場では決して邪悪らの要求と指図に協力することなく、その後はまた労働教養期間を6カ月も延期されて関山留置場に移され、引き続き迫害を受けました。それから馬仲河の犯罪者厳管大隊に移され、常に手錠を掛けられた状態で迫害されました。2003年1月16日になって城管派出所はやっと彼を引き取りにきました。
劉洪友さんが迫害を受けている間、奥さんは何度も派出所を訪ねて状況を聞き、家に戻すように要求しました。しかし、派出所は責任から逃れるために劉洪友さんが大連留置場に移送されたことも知らないと言いました。劉洪友という人さえ知らないとまで言いました。奥さんはどうすることもできない迫害と脅迫を受けて、仕方なく再婚してしまいました。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/19/130796.html)
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