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煉功への古い要素の妨害を解体する

文/法粒子

【明慧ネット2006年6月9日】長い間、私が煉功をしたくないと思うのは修煉の中で常に存在する問題でした。私は、学法を通して煉功の重要性を心の中では分かっていました。また、交流会でも学習者達は私に煉功の問題は避けてはいけないことだと知らせてくれました。毎日5式を全て煉功しようと何回も決心したのですが、何日間しか続けることが出来ず、煉功したくないという思いが再び出てきました。その他の執着心を捨てることに比べ、この過程は一層困難でした。

 最近、集団での学法と煉功に参加した時、学習者達は私の問題に対して再度厳粛に指摘してくれました。(これも集団での学法と煉功の一つの目的であり、大法と一致しないところを師父が学習者の口を借りて指摘してくれます。)、私はこの問題に対しきちんと目を向ける必要があると感じました。

 一昨日、「ウクライナ法会」での師父の経文を得たので、私は覚えようと決心し、この2日間ずっと繰り返し暗唱しました。今朝目が覚め、煉功をしなければいけないとは思いつつ、また煉功をしたくないという思いが脳裏を横切りました。その時、師父の「ウクライナ法会」での「皆さんの修煉の過程の中で、おのずと衆生を救い済度し、邪悪と旧い要素の妨害を解体するという使命が含まれています。」という説法が思い浮かび、少し分かるようになりました。私は自分自身に「煉功したくない」という思いは、本当に自分自身のものだろうか、と問いました。絶対に違います。しかし、自分が思っていることでないのなら、いったい誰のものでしょうか。どんなに分かっていなかったのでしょうか。これが、長い間私の修煉を厳重に邪魔していましたが、私はずっとそれが自分自身だと思い込んでいました。

 私は「私の煉功を妨げている古い要素を解体しよう。」と一念を発した瞬間、一層の物質が解体されてしまい、「煉功したくない」という思いが頭から消えました。私は師父が植え付けて下さった煉功の機制の体内での動きを感じ始めました。私はそれに執着しないで、機制に従ってひたすら煉功をしました。私は、自分がどれだけこの功法に同化しようとしているのかを知りました。

 私はこの過程を書き出すことで、私と似た状況にある同修の手助けになることを願っています。かならず「煉功をしたくない」という考えが本当に自分のものかどうかを見分け、その考えとその背後にある古い要素を解体しなければなりません。 またある学習者は「動功をしたくない」、または「静功をしたくない」、「第二式の動作はしたくない」という考えがありますが、これらは全て本当の自分自身ではなく、解体されるべきものです。なぜなら、師父が私達に与えて下さった機制は、五セット功法を一度に習得して、全部覚えなければならないからです。個人修煉の観点からみると、煉功の過程には執着と観念を取り除く意味も含まれています。「煉功したくない」という考えは執着ではないでしょうか。また、一種の観念なので、取り除かなければいけないものではないでしょうか。師父の「ウクライナ法会」に有ります様に、私達にはより一層、私達の煉功過程には更に衆生を救い済度することも含まれています。邪悪による古い要素の妨害を解体する使命、私達はかならず重視しなければなりません。

 以上は私個人の悟りですので、不適切なところがありましたら慈悲の指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/9/129935.html

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