私の天津女子労働教養所での経歴
【明慧ネット2006年6月9日】天津女子労働教養所は善良な人を迫害する人間地獄で、特に建て直す前の五大隊はとても恐怖だった。秋冬になると、湿気て、冷たい部屋に住み、最初入ったとき、寝る勇気もなかった。室内は暖房があったが、使ったことはなく、それは誰かが訪問した時、写真をとる為に設置したものだった。冬はストーブをつけ、毎日毎日ただ一つの小さい箕の石炭だけを渡され、火をおこす木もなく、自分の携帯用腰掛けを燃やすしかなかった。燃やしてからまた売店で買わなければならない(売店の商品は全部質が悪くて、高価だった)。学習者たちは石炭を夜に使う為に節約し、夜になってストーブをつけると、すぐ悪らつな警官に消され、夜に火をつけることは許されなかった。多くの人は寒くて寝れないまま、翌日朝3時に起こされ、庭園の中でレンガを磨かせられた。
冬でも手袋なしで、レンガとコンクリートを触る為、学習者の手は血だらけだった。7時に朝ご飯を食べ、そのまま労働した。2000年7月、悪党人員は大量な学習者を拘禁し、強制的に豆を選ばせ、一人毎日十数袋から数十袋まで増え、完成しないと寝かせなかった。翌日、豆を送る大きいトラックは空で走らなかった。学習者は数日間三、四時間しか寝てなかったため、多くの学習者は豆を選びながら、寝てしまったからだ。
五、六十才以下の人はみな50kg以上の袋をトラックに運ばせ、ある日、私は熱が出た状態で27袋も運んだ。労働教養所の人は私たちを人間として扱っていないので、用具を洗う時間もなく、シャワーと服を着替える時間はなおさらなかった。一人に一つの壷の水しか部屋に置かせず、庭園に置いても、ぜんぜん飲む時間はなく、いつも私たちを監視する犯人に盗まれていた。一人がトイレへ行くと、すべての人がトイレの前で並ばなければならないので、多くの学習者は時間がなくて、大便する時間もなく、一人の学習者は数ヶ月間深刻な便秘になった。ある学習者はたいへん苦しくて、医者だった学習者が管理長(麻薬を吸う犯人)に石鹸の水が効き目があると伝え、管理長が食物注入用の管を申請したら、悪らつな警官は残酷に言った。口に入れる管を使うの?これら人間性のない物は、方法を変えて私たちを迫害した。
私たちが住んでいた部屋は全部仕事をする部屋になり、豆をベッドで選び、完成しないと寝かせてもらえなかった。私たちの布団、衣類はすべて湿気た部屋に入れられ、悪らつな警官はそれを打物部屋といった。仕事が終わらないと、日常用品を買う時間をもらえなかった。管理長一人に代わりに買ってきてもらい、買ってきたものは全部打物部屋に入れられ、仕事を完成させないと勝手に打物部屋に入れなかったので、毎日三、四時間寝て、物を取りにいくと、食べ物は鼠に食べられたり、ナプキンが鼠に壊されたりした。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/9/129987.html)
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