私たちは皆責任者である
文/河北省の大法弟子
【明慧ネット2006年6月26日】非常に長い間、私は明慧ネットで同修たちの切磋琢磨、特に私たちの資料製作所が何らかの破壊や損失を被ったときに、それに応じて学習者たちが迫害されるようになるのを見て、このような文章を読むたびに心が痛む。しかも、これらを書いた同修たちのほとんどの文章は、責任を協調人のせいにしている。
私はここで、協調人がどうであるかを論じたいわけではなく、私がここで言いたいのは、私たち大法弟子は一つの全体であり、皆大法の修煉をしているので、私たちは皆大法の一粒子である。大法にはいかなる官職もなく、人々は修煉するために来たのであり、同修たちは皆、自分の大法に対する理解をもって自分のやるべきことをやっているのである。同修が協調人に漏れがあると気づいたならば、どうして同修はそれを円容しようとしないのだろうか。どうして、非常に大きな損失をもたらして初めて後悔するのだろうか。私たちが皆、自分の使命と責任の重大さに気づいたとき、私たちは待ち構えて、協調人に頼るのだろうか。師父は次のように言われた。「全ての人が大法の一粒子であり、皆法の中で精錬されており、どのようにすべきかが全ての人は分かっています。」(2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説)
この文章を書き出したのは、元の文章を書いた同修を責めるつもりではなく、私たちにある不足を見出すためであり、法に基づいて共に向上したいからである。私たちが皆、本当に心から法を正す時期の大法弟子としての偉大な使命および責任を認識することができ、皆が自我を放下し、積極的に大法を守るようになったとき、邪悪がすべて取り除かれ、神仏がおおいに現れる時はもう遠くない。私たちは宇宙の大法の中で漏れなく無私無我で、自分よりも他人を先に重んじるように修めることができるようにしよう。私たちは、この法を正す時期の大法弟子という、宇宙生命の中で最も偉大な称号を持つ気持ちで、師父の教えのもとで円満成就する偉大な時を迎えよう。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/26/131021.html)
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