「人間」が表に出て来るのではなく、大法弟子が人間から出て来る
文/大陸大法弟子
【明慧ネット2006年6月12日】ある同修は刑務所に5年間監禁され、最近、出所してきた。今、法を実証する中で彼には一つの障害があると私に言った。それは毎回他の人に表に出るように説得しようとする時、出ることによりその人がまた多くの魔難に遭いそうな気がして、いつも耐えられないということであった。
私はこのような心理状態は法を真に理解してないからであると思う。師父は『2005年サンフランシスコでの説法』の中で説かれた、「私がいつも言っていることですが、大法を学んだら、良いことにあっても悪いことに遭っても、皆良いことです。(拍手) なぜならば、あなたが大法を学んだから現れてきたことだからです。大法を学んでから、多くの魔難に遭っている学習者がいますが、もし修煉しなければ、これらの魔難はあなたを壊滅に向かわせるのです。大法を修めたから、これらの魔難が前倒しでやってきました。受けた圧力が強く、心性に対する試練をなかなか乗り越えにくく、時に大きな関に遭いますが、なんと言ってもこれらの魔難は必ず去っていくのです。全部清算され、勘定されるのです。(みな笑って) これはとても良いことではありませんか? ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです」。
一つの生命がこの万古の機縁を失い、この万年にも会えない大法の修煉を失う時、私は彼らのために切実に心を痛め、一つの生命がこのように壊滅に向かっていくのを本当に見ていられない。もし私に助ける能力があるのに手を拱いて助けようとしなかったら、これは死んでいく人を目にしながら助けなかったことになる。宇宙には相生相克の理がある。歴史がここまで歩んできているのに、迫害はまだ続いている。外観からはとても邪悪であるが、ならばきっとこれに対抗する要素がある。私たちは法を正す時期の大法弟子になれた以上、これは歴史の選択であり、ならば私たちは使命に恥ずかしくないようにしなければならない。
実際私が感じたのはありとあらゆる光栄である。三つのことをやり遂げる時私は絶えず自分の足りない所を見つけ、そして絶えずそれを正視し、取り除き、法に対する自分の認識がますます深くなるにつれ、生命の境界が高まっていくのを感じとれるようになった。私は今までこれほど正々堂々としていたことはなく、同時にまだ法を得てない生命に対して残念に思う。彼らには自分の足りないところが見えず、法で自分の足りない所を正視し、生命を向上させるように導くことができない。従って知らないうちに悪事を働く。実は彼らこそ一番苦しいし、かわいそうなのである!
また私は「人間」に表に出てくるように、一人の常人に大法の仕事をするよう要求するのではなく、大法弟子が「人間」から出てきて、正々堂々と大法の仕事をすることであると思う! もし私たちがいまだに常人の考え方で、また自分を世間の人間の理に限定させると、私たちはきっと人間にしっかりと束縛されて、大法の仕事をすることができなくなる。
師父は「警告の言葉」(『法輪佛法(精進要旨)』日本語版【最新Ver.1.2.2J】)の中で説かれた、「皆さんが人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しなければ、皆さんは機会を失うことになるのだ。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄まで染み込むようにして形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取りのぞくことはできず、圓満成就することはできないのである」。師父は「根を掘る」(『法輪佛法(精進要旨)』日本語版【最新Ver.1.2.2J】)の中で説かれた、「肝心な時、わたしは皆さんを人間と決別させようとしているのだが、皆さんはわたしについてこようとはしていない、一回一回の機会は二度と現れてはこないのだ。修煉とは厳粛なもので、差はますます大きくなるのだが、修煉の中にどのようなものであれ人間のものを加えることは極めて危険なことである」。
師父は決して簡単に私たちに何かをさせるのではなく、私たちが真に法を認識すると同時に、大法弟子としてやるべきことをやるように教えていらっしゃるのだと私は思う。まだ表に出てきていない学習者、および転向させられてまだ目が覚めていない学習者に注意を与えたい。邪悪が言っていることはすべて、みなさんに人間の角度から、修煉と法を正すことを認識させようとしているに過ぎない。これはみなさんを人間に戻すだけではなく、さらにはみなさんを彼らと共に埋葬させようとしている。それらとそれらの道理の通らない邪説はもう歴史によって淘汰されることが決まっているからである。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/12/130199.html)
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