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「魅」力について

 【明慧ネット2006年7月1日】今日の全ての人、男女に関わらず、皆「魅」力のある人になりたがっている。しかし、古代中国語の中で、「魅」とは鬼であり、伝説の物の怪で、人を惑わす力を持つ存在を指しているのだ。

 師父説法の中で、「魑魅魍魎」について言及されたことがあり、普通の常人も知っているように、非常にレベルの低い鬼である。しかし、今日の人間は、正常な人間が避けるはずの鬼を崇拝の対象として崇めており、時にはファッションとして追い求めている。見れば分かるように、人類の道徳の基準が恐ろしい所まで落ちている。いわゆる「魅」力を追求するがゆえに、女性は艶めかしさ、セクシーさを求め、男はクールを求めて、理性をひきつけることを自慢し、色欲に支配されているのだ。実は皆、別空間の鬼が、人類の腐敗した道徳を利用して、人間を惑わしているに過ぎない。人々はコントロールされているが、迷いの中でなかなか目覚めることができない。

 中国の伝統文化では、女性に対して端麗、貞淑であるように提唱し、男性は正直、闊達であるよう求めていた。しかし、これらはすべて、鬼達に惑わされて消えてしまった。人々は、根本的な伝統文化を忘れてしまったのだ。実は神仏は人間に文字を授けたときに、すでに人々に警鐘を鳴らしていたのだ。人間は何を求めるべきなのか、注意して考えなければならないのだ。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/7/1/131756.html