真相資料を配布したため還暦の老人が不法に実刑判決を言い渡された
【明慧ネット2006年7月7日】私は石永成、今年68歳である。大法の真相資料を配布したため、2001年10月30日に不法に逮捕され、後に伊春市烏馬河区裁判所で3年の実刑判決を言い渡され、2002年6月に香蘭監獄に移送された。
監獄の中で私は、非人間的な扱いを受け、毎日2人の受刑者によって24時間監視されていた。私は強制労働を拒否したため、2人の受刑者に釘で刺され、受刑者が私の頭の上に乗って呼吸ができなくなるまで押しかかってきた。ある時、点呼をしているときに耳がよく聞こえなかったため、突然ある受刑者は私を殴り、まだ煉功するのかと聞かれ、私は煉功すると答えると、ただちに私を50立方メートルの籠に押し込み、さまざまな方法で私を虐待した。
私は集中特訓の対象として、1ヶ月以上にわたって監禁され、7月ごろになると鶏西監獄に移送され、草刈の仕事をするよう強制された。毎日1人の受刑者に監視され、3日間も水を飲ませられなかった。第五監獄大隊の隊長・曲は2人の受刑者に、24時間私を監禁させ、私は連続3日間、直立不動のまま睡眠も取らせてもらえなかった。少しでも眠ると、口元を殴られた。そして、転向しなければここで死ぬしかない、と暴言を振るった。
私は疥癬を患っているので、2人の受刑者にトイレまで引きずられ、35日間にわたって服を着ることを禁じられ、窓を開いて体に水をぶっかけられ、非常に硬い布で体中をこすられ、血が出た。その間、受刑者は皮のベルトで私を殴り、何度も気絶した。その折、警官が入ってきて、雑巾で私の口をふさぎ、何度も蹴り上げた。
3,4人の受刑者が私の服を脱がし、冷たい水を30分にわたってぶっかけた。時には、受刑者がゴム製の板で私を殴り、針で刺し、一日中服を着ることを禁じられ、直立不動で足が腫れるまで立っていた。時には両手が腫れるほど、ゴム製の板で手を打った。
2003年5月になると、曲という隊長は私を釈放させるとして乗車させ、突然、牡丹江監獄に移送された。修煉者は皆牡丹江監獄に監禁されていると聞いたが、私は第三チームに編入させられてから、私は綿の服などを全部捨てられ、受刑者用のぼろい服を着せられた。時には、布団のたたみ方が悪いとの口実で、冷たい水をぶっかけられ、また、口をふさがれて、起き上がれないように押さえてから、暴力を受けていたこともよくあった。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/7/132398.html)
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