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2006年6月:20人の大陸法輪功学習者の迫害による死亡を実証 【明慧ネット2006年7月6日】】(明慧記者・黎明)2006年6月に中国大陸の法輪功学習者20人の迫害による死亡が実証された。その中、女性法輪功学習者は8人で、40%を占め、14人が2006年の1月から6月の間に死亡し、その中5人が2006年6月に迫害により死亡した。中共の迫害真相に対する厳重な封鎖により、20人の死亡者の中、4人の年齢が現在確定できない以外、55歳以上の老人は11人で、55%を占める。明慧ネットの資料統計によると、2006年1月から6月まで、少なくとも76人の大陸法輪功学習者の迫害による死亡が実証された。1999年7・20に中共と江沢民グル−プが法輪功を迫害し始めてから現在に至るまで、すでに2915人の法輪功学習者の迫害による死亡が民間ルートを通して実証された。
呉連鉄さん(48歳男性)は遼寧省瀋陽市遼中県茨于ダ鎮黄北村の人で、1998年7月から法輪功を修煉し始め、村一番のお人よしと言われていた。 1999年7・20以来、中共が公に法輪功を迫害し始めてから、呉さんは常に公安局、610オフィスによって、私生活を度々かき乱されたため、家族は2001年から2002年春まで、各地を放浪していた。しかし、いかなる環境のもとでも、呉さんは法輪功を修めていた。 2005年4月13日、呉さんは自宅で仕事をしていたとき、遼中県国保大隊の隊長・李偉や茨于ダ鎮公安局の局長など5、6人により、遼中県第一留置場へ連行され、迫害された。4日後、瀋陽市張士洗脳班へ移された。半月後には、また遼中県第一留置場へ転送された。2005年12月、呉さんは非合法に8年の刑を言い渡され、盤錦市刑務所第三大隊に監禁された。この間、約8カ月間家族との面会を禁止されていた。 2006年5月24日、呉さんの家族に、突然盤錦市刑務所に来るようにとの通知があった。行ってみると、呉さんの遺体が盤錦市葬儀サービスセンターの冷凍室に入っていた。死因と死亡時間は誰も教えてくれなかった。呉さんを管理していた人は、盤錦市第二病院へ送って応急手当をしたと言ったが、調査してみると、病院へ送った時、呉さんは既に死亡していた。家族が呉さんの遺体を調べてみると、左腕の肘の裏側に三角の傷跡があり、絆創膏が貼られていた。シャツには血痕があり、唇と歯の間にも血痕があった。呉さんの姉と兄は刑務所の警官に「私の弟は刑務所に入るとき健康でした。ここに数カ月監禁されて、どうして死亡したのですか?」と言い、交渉した。警官は何も言えず、ただ死者のために埋葬費用を少し支給するとだけ答えた。 事後、刑務所は家族に「あなたの弟はあまりにも能弁で、私たちは誰も彼を転向させることができなかった」と言った。呉さんは看守に「共産党は道理に従わない。人を騙し、盗品を押し付けて罪に陥れ、私を8年の刑に処した。私は間違っていない。師父は私たちに良い人になるように教えられ、病気はよくなり、健康を与えてくださった。現在私の皮膚病は完全になくなった。あなた達も自分の目で見た。どうして私を転向させるのですか? 私をどこへ転向させようとするのですか? 私には理解できません」と言った。最後に看守は家族に「呉連鉄さんは良い人でした!」と言ってくれた。 聞くところによると、国際人権組織が刑務所に真相調査に来るという。呉連鉄さんは如何なる場合でも、悪党の迫害を暴露し続けるので、盤錦市刑務所は刑務所での迫害の内幕が暴露されるのを恐れ、呉連鉄さんを殺したのである。 張順龍さんは吉林省遼河源派出所に連行されて、3日以内に殺害され、遺体は強制的に火葬された 張順龍さん(40数歳、男性)は吉林省東遼県宴平郷新城六隊の法輪功学習者であった。2006年5月26日、地元の遼河源派出所の悪らつな警官に連行され、迫害されて死亡した。遺体は28日、家族の許可もなく、強制的に火葬された。 4月26日、張順龍さんの弟・張順紅さんとその妻・劉香卓さんなど数人の法輪功学習者が連行され、不法に遼源市看守所に拘禁された。5月26日朝7時、順龍さんと妻・呂鳳玲さんと妹・呂さん(修煉していない)、兄・張順明さんは、遼源市東吉支局に拘禁されている親戚を釈放するよう要求に行くつもりであったが、遼河源派出所の悪らつな警官に連行され、順龍さんは派出所で殴打された。目撃者によると、順龍さんは殴られて顔が血まみれになり、死体は解剖されてから強制的に火葬されたが、何の説明もないという。遼河源派出所は対外的に既に情報を封鎖している。 順龍さんの妻・呂鳳玲さんはあまりにも大きな打撃を受けて、精神状態が朦朧となり、すでに家に戻されている。順龍さんの兄・張順明さん、妻の妹・呂さんは不法に遼源市留置場に監禁されている。 現在、張さんの家には7、80歳の母と二人の幼い子供が助け合って生活している。 中共の警官は老人を虐殺している 阮玉キ(王へんに其)さん(68歳男性)は吉林省白山市露水河の人で、1998年に法輪大法を修煉し始めた。大法を得てから老人は健康を得られ、明るくなって、一日中楽しそうだった。知っている人はみな阮さんは良い人で、人情を重んじ、善良で、人付き合いがよいと言った。1999年7・20に悪党が大法を迫害して以来、阮玉キ老人は人々に大法の真相を伝えたため、何回も非合法に逮捕され、拷問され、心身共に深刻な傷害を受けた。2006年6月13日、迫害により死亡した。 2001年4月18日、阮さんは北京へ陳情に行った。天安門広場で警官により西城派出所へ連行された。同派出所の所長は自ら阮さんをめった打ちにした。その後、また2人の警官が入ってきて、1人は阮さんを2、3メートル離れたところに蹴っ飛ばし、もう1人は力いっぱい老人の胸を蹴った。肋骨が3本折れていた。家に帰った後、病院で写真を撮ったところ、医師は、肋骨が肺を刺していたら命が亡くなっていたはずだと言った。 阮さんと一緒に北京へ陳情に行った学習者は数人いた。警官が学習者を殴ると、阮さんは椅子の上に立って、「法輪功学習者を殴るな!」と大声で叫んだ。警官は手錠で阮さんの頭を目がけて打った。阮さんは頭を打たれて3寸ほどの傷口ができ、鮮血が顔を伝って流れた。警官はそれでも気が済まず、力を入れて手錠で額を突いた。さらに10数回突いた。毎回突く度に傷口ができ、鮮血が傷から下へと流れ落ちた。露水河に帰ってから、阮さんは撫松留置場に不法に拘禁された。息子と娘は父親が苦しめられるため、あちこち人に頼み大金を使った。撫松県公安局の局長・古憲闘と政保科の張愛民などに、約3万元を不法にゆすられた。 2001年5月、阮さんは撫松県の洗脳班へ連行され、強制的に「転向書」を書かされた。阮さんは正念を持って「私は真・善・忍を修煉して、良い人になる。煉功して体を鍛え健康になるのに、あなた達は私をどこへ転向させようとするのですか」とこれらの要求を拒否した。 2002年8月ころ、阮さんは法輪大法の修煉を堅持したため、また露水河東山派出所の警官・江秋麗に告発され撫松留置場に不法に監禁された。2002年10月、不法に長春朝陽溝労働教養所に送られて2年間迫害された。労働教養所では奴隷のように酷使され、労働させられ、拷問された。阮さんは長期に亘り板に座らされてお尻に疥癬が広がり、すでに正常に歩くことができなかった。転向を拒否したため、寒中、看守と受刑者に素っ裸にされた後、冷たい水をかけられた。悪辣な警官は水をかけながら、阮さんに年齢を聞き、1歳につき、たらい一杯の水をかけると公言した。そのとき、老人は64歳だった。 2006年5月中旬、露水河公安局は白山市政治法律委員会及び610オフィスと共に阮さんの家を訪ね、引き続き迫害した。阮さんを脅迫し、修煉を放棄させようとした。悪党の暴威と重圧により、阮さんは家で正常に法を勉強し、煉功することもできなくなり、約7年間の恐怖の重圧と数回の不法監禁、拷問による虐待により、心身共に疲れ果て2006年6月13日、迫害によりこの世を去った。 *肖淑芬さん(66歳女性)は黒龍江省牡丹江市歩行街に住んでいた。法輪功を修煉したため、不法に黒龍江省女子刑務所で迫害を受け、数年経過していた。2006年6月8日、肖さんの家族は突然刑務所から肖さんが死亡したと通知を受けた。子供たちは9日の朝遺体を受け取りに行ったが、刑務所は様々な嫌がらせをして遺体を見せてくれなかった。 肖さんは生涯質素で善良で、仕事は献身的であった。法輪功を修煉してから体はどんどん良くなり、更に優しく親友や隣近所の人と接することができ、息子の嫁とはいつもにこにこしていた。法輪功は肖さんの家族に和やかな雰囲気をもたらした。しかし、1999年7月20日、悪党の江沢民グループが法輪功に対する残酷な迫害を始めて以来、肖さんは何回も不法に連行され興隆留置場へ監禁され、家庭は破壊された。 2002年末、肖さんは人々に法輪功が受けている迫害の真相を伝え、デマを飛ばすメディアを暴露する真相資料を作ったため、牡丹江市の政治保護大隊にまた連行された。牡丹江市公安局は7日7夜、肖さんを拷問にかけた。警察の制服を着て、頭に国章をつけたいわゆる「人民の公安」は、肖さんを虎の椅子に縛りつけ、大量のからし油を強制的に注入し、それからビニール袋を頭に被せ、半死半生の状態にした。また鉄のペンチで歯を抜き、指を挟み、7日7夜の間中睡眠を与えなかった。繰り返し拷問で苦しめ、肖さんを息も絶え絶えの状態にさせた。 その後、肖さんは不法に秘密裏に重刑の判決を下され、ハルビンの黒竜江省女子刑務所に拘禁された。2003年の冬になり、同刑務所は人間性のまったく無い手段で、何度も厳寒の中で各監区の大法学習者に体罰を加えた。2004年の新年明け、第一、第五、第七、第九監区などは監区内に勝手に拷問部屋を設け、吊るし上げるなどの拷問で大法学習者を頻回に苦しめた。多くの人は吊るし上げられた後、気絶した。2月9日、悪辣な警官・張暁影は肖さんをめった打ちした。大法学習者・王愛芳さんは「人を殴らないで、人を殴るのは犯罪です」とただ言っただけで、暖房のパイプに縛られて虐待された。その後、肖さんは20数日間ベッドに縛られていた。煉功をしたため、悪辣な警官はまだ肖さんに対して、残虐な挿管による食物注入(灌食)を行った。 2005年2月、肖さんは患者監区の4階から3階へ移された。転向させるために、警官の張暁影は自ら指揮して、肖さんを力ずくで3階まで運んだ。階段で腰をぶつけて怪我をさせた。それらは転向させるために殺害の手段を用いた。師父をののしり、大法をののしるように強制したが、肖さんは承知しなかった。すると受刑者は首を締めた。2005年10月、受刑者の李桂芝が大法学習者は「経文」を所持していると密告した。邪悪なやから達は3階で大法学習者のものをひっくり返し、肖さんの綿入れのズボンを脱がせ、侮辱した。 肖さんは2006年6月8日、黒竜江省女子刑務所で迫害されて死亡した。 * 穆良瑶さん(60数歳女性)は貴州省赤水市華一紙工場の従業員の家族であった。2000年正月に北京に行き、法律に基づいて法輪功のために陳情した。事務所で陳情書に記入した時、大法を修煉して自分が心身共に恩恵を受けた事実をそのまま書いたため、結局公安局の警官に不法に連行され、強制労働を科された。貴州省女子強制労働収容所で悪辣な警官・顧興英は電撃棒を穆さんの口の中に入れて電撃した。 2001年12月頃、赤水の法輪功学習者は真相資料と真相CD-ROM(内容は天安門焼身自殺事件の真相)を配り、「真・善・忍」の真相スローガンを書いて悪党に迫害された。穆さんはまた不法に家財を差し押さえられた。そして探し出された真相資料を迫害の口実として、3年間の不法強制労働を強いられた。事情を知っている人の話は以下である。貴州省中八強制労働収容所に監禁されていた3年間、穆さんは大法をかたく信じ、転向を拒否した。強制労動収容所で残酷な体刑の苦難を受け、頭部に重傷を負い、欝血し瘤ができた。穆さんは出獄して間もなく、2005年4月、冤罪が晴れないまま死亡した。 敬老、幼い子供を保護するのは中華民族の数千年来の伝統文化の一つであり、全世界のすべての文明社会の道徳規範でもある。しかし中共悪党の統治下の中国では、公然と老人を虐殺している。これは道徳の崩壊、人間性の喪失した結果であり、中共と江羅グループが真・善・忍を修煉する法輪功学習者を迫害したため、もたらした悪果である。 すべての実例は血の債務であり、一つ一つの血の債務はみな一本の縄であり、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある。借りたものは必ず返さなければならない。明らかに道理はすべてを制約している。中共江沢民グル−プが法輪功に対して絶滅的な迫害をする中で作った血の債務は、すべて間もなく返済されるだろう。その日はますます近づいている。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/7/6/132280.html) |
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