密山市の法輪功学習者・于天勇さんが迫害され2002年に死に至った詳しい内容
文/黒龍江省の大法弟子
【明慧ネット2006年7月10日】于天勇さん(35歳男性)は、黒竜江省密山市連珠山鎮に住み、1996年から法輪功を修煉し始めた。2000年6月、法輪功の無実を訴えるため北京へ陳情に行って、牡丹江の農業管理局の公安局、派出所、610事務所と于さんの両親の所属する農業開墾高校は人を派遣して北京まで追いかけ、于さんを連行して、密山に連れ帰ろうとしたが、途中、于さんは正念を持って脱出した。しかし北京までかかった費用、交通費、ダンス・ホールなどで遊ぶ費用約6000元を、すべて于さんの両親に請求したが2人の年寄りはこの事を認めなかった。しかし農業開墾高校の不法人員は完全に人間性がなく、2人のお年寄りの2年あまりの給料からこれらのお金を取った。
2001年1月1日、于さんはハルビン太平区で連行され、裁判所はでっち上げの罪名で不法に10年の刑罰を下し、ハルビン市の第3刑務所で拘禁した。長期に迫害を受けたため、于さんは肺結核をかかって、一時に釈放され、鶏西の結核病院で治療を受けた。入院中農業開墾システムの凶悪警察は止むことなく邪魔しにいった。1カ月後、于さんは再びハルビン太平区の凶悪な警察に連行され、万家病院に閉じ込められ、いわゆる治療を受けた。2カ月後、2002年5月22日病院で迫害されこの世を去った。
年を取った両親は、元は健康な子供が骨だらけにやせこけて、異郷で惨死したのを見て、悲しくてしょうがなかった。母はこの沈痛な打撃に耐えられず、于さんの死を思い出すと、涙がほろほろと流れ、父は何度も政治運動を経験したことがあり、共産悪党の本質を十分に知っていて、力ずくで子供を失う痛みに耐えて、不公平を訴える勇気がなかった。于さんの妹は警察に何度も家を恐喝されかき乱されたため、怖くて心神喪失になった。
でも于さんの両親の不幸はこれで止まらなかった。2000年6月、于さんの妻の竇建華さんは北京へ陳情に行って、牡丹江の農業開墾の公安局に連行され、看守所に拘禁された。この時、竇建華さんはすでに妊娠していたが、看守所は相変わらず重い肉体労働を強制して、流産させた。釈放を求めるため、竇建華さんは絶食を始めて、やっと家に戻されたが、しかし何日間も過ぎてないうち、また密山市北大営派出所に不法に連行され、看守所に戻された。まだ流産後の静養もできていなかった。
竇建華さんはその後牡丹江の農業開墾の公安局に、ハルビンの万家労動教養所へ送られ、更なる邪悪な迫害を受けた。于さんが迫害されて死に至ったことは、労動教養所は隠して、彼女に教えなかった。なお更、何度も彼女にいわゆる「反省文」を書くように強制して、邪教の(共産悪党)反人間性を十分に現した。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/10/132639.html)
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