文/公主嶺大法弟子・王勝
(明慧日本)私は吉林省公主嶺市の法輪功学習者です。法輪功修煉者ということだけで2005年5月21日、警察に不法に拘留され、修煉を放棄するよう脅され、長期間に亘り拷問されました。これらの迫害で私の容態は悪化し、体重が急激に減り、ほとんど骨と皮だけの状態となりました。死の寸前と判断され、家族が呼ばれて、警官の監視の下に病院で検査を受けました。そこで、十二指腸末期癌・肝硬変末期・腎壊死・糖尿病・胆嚢炎など、9種の病名を言われました。公主嶺市の病院では治療できないため、長春に転送されましたが、そこでも同様で維持しかできないと、医師はただ頭を横に振るだけでした。そういう状態でも、警察は私に代わって、修煉を放棄するという「保証書」を家族に強制的にサインさせました(強制されていたが、私は応じませんでした)。
家族は私の様子を見て皆涙を流し、葬式の準備を始めました。親戚も会いに来て、それが最後だと思っていたようでした。私は家族に、「私は法輪功修煉者だから,何の問題もありません」と言って、心静かでした。担当医にそのまま退院したいと申し出しましたが拒まれ、手続きしないでそのまま家に帰りました。
帰宅すると法を読むことと煉功に没頭しました。最初は5分間しか座れず、5分だけ座って読むことにしました(姿勢ですが、横になって読むことは大法に対して不敬だと思いました)。次第に10分、20分、最終的には1時間座って読めるようになりました。煉功も最初は立つことだけで精一杯でしたが、できる限り時間を長くしました。第4セットでは膝を曲げる動作があり、最初はまったくできませんでしたが、それでも諦めないで、少しずつ煉功時間を延ばしていきました。自分は修煉者であり、法を信じていれば不可能なことはないと思っていました。そうするうちに、体はどんどん好転していきました。当初自分一人では何もできず、トイレに行くときですら前と後ろに一人ずつ助けが必要でしたが、10日後、大法修煉による奇跡が私の体に現れました。布団を畳み、洗面、食事、トイレに行くことが私一人でできるようになりました。それを見た家族、隣人は皆驚いて不思議がっていました。
1カ月後に妻から検査を受けるように言われ、安心させるために私は病院に行きましたが、結果は「末期肝硬変」でした。私は「大丈夫、当初病院へ行った時は担架で、今は自分で歩いているから、これこそ大法修煉の不思議さではないか?」と、心配する妻を慰めました。更に半月後、身体はほとんど不調を感じなくなり、外へ出て迫害の真相を世間の人々に伝えようと思い、田舎に戻りました。元気な私を見て、村の人々は皆驚きを隠せませんでした。真相資料の本やディスクを手にして、私は付近の村を回り、会う人毎に法輪功の素晴らしさを伝えました。それを聞いた人々は、真相を知った人もいれば、自分でどんどん質問する人、本を読みたいという人、「私も法輪功をやりたい」という人など、さまざまでした。
4カ月後、私は再度病院に行き、医師や看護婦に真相を伝えました。目の前に「立っている」私を見て、彼らは皆固まってしまいました。「もしかして、あれは誤診だったのでは?」と医師が私に呟いたのですが、私は、「そう診断したのはお宅の病院だけではありません。あれは誤診ではないですよ。実はあれ以来、薬は一錠も飲んでいませんが、私が回復できたのは法輪功を修煉したからです」と説明しました。さらに「共産党が全国のメディアを使って『天安門焼身自殺』などを報道したが、それらは皆国民を騙して法輪功への反感を買わせるためにでっちあげたものですよ」、「法輪功は素晴らしいものです。修煉すれば、恩恵を受けます」と説明しました。帰るとき彼らはわざわざ階段の所まで見送ってくれました。
私が生還したことは修煉していない人には、受け入れにくいこともよく理解できます。というのは、むしろそこが肝要なところであり、修煉者だからこそこういう奇跡が起きるわけです。警察に拘留されていたとき、4人の看守が2交代制で私たちを監視していました。皆拷問を受けて体がぼろぼろになっていましたが、彼らはもうだめになりそうな学習者を外へ出し、そのまま火葬場に運んでいたのです(前国家主席・江沢民は「法輪功に対しては、法律は無用」、「拷問で死亡すれば自殺として扱う」、「身元を確認しないで、直接火葬に」等の政策を採っていました)。当時の自分は正直言ってもう駄目だと思っていました。私は他の学習者に、「もう駄目かもしれない」と呟きましたが、言った後すぐに師父の説法を思い出しました。師父は『転法輪』で『米国フロリダ州での説法』で説かれました。「そうだ、これぞ大法の超常的な所以である」、それが分かると私は体が痛くても心が動じなくなりました。その夜は安らかに眠れました。修煉者だから、私にとっては自分の回復が理(法理)にかなっていることであり、ごく自然なことと思っています。