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二言三言:修煉中の嫁姑関係


 文/大陸の法輪功学習者

 【明慧ネット2006年7月27日】今年の大晦日、お嫁さんが嬉しそうに家に来て、私と話したり、家事を手伝ってくれたりして、一緒に新年を迎えました。私は不思議に思ったのですが、お嫁さんが嫁いで来てから十五、六年、こんなに嬉しく思ったのは初めてでした。

 夜の12時近くになって、私はお嫁さんに新しく買った肌着をプレゼントしました。彼女は大変嬉しそうに「お母さん、本当にすみません。私は何にも用意していないのに」と言いました。私はその時本当に身に余るお嫁さんの対応に、慌てて「息子に買ってきたから、ついでに買っただけです。あなたは給料ももらっていないしね」と言いました。

 私は十年間の修煉の中で、一度も嫁姑関係の問題を修煉として見たことはありませんでした。息子の家族とは別々に暮らしており、息子の会社が不景気な時は、私は息子にこう言っていました。「食べていくお金がなければ、家に来なさい。お母さんが面倒を見てあげるから、お米を買うお金がなくても焦らないで。これはあなたのせいじゃない。これは一般的な現象で、国の問題だから」

 私の頭の中は息子のことばかりで、一度もお嫁さんのことを考えたことはありませんでした。普段、一人で家にいる時、いつもお嫁さんの悪い所ばかりを考えており、「家事をしないし、礼儀がないし、家計の切り盛りがうまくないし、若いのに働かないし、一つも良い所がない」考えれば考えるほど頭にきていました。いつもこのようなことを考えていました。

 ある日、私は師父に気づかされました。大法は慈悲心を修煉するものであり、誰に対しても、もちろんお嫁さんに対しても親切に接しなければなりません。私は瞬時に悟りました。私は非常に自己中心的だったのです。お嫁さんにさえ配慮しないで、どうして衆生を救い済度できますか? これで修煉といえるのでしょうか? 私は私心を変えなければならないし、誰に対しても親切に接します。これでこそ真の大法弟子です。

 ですから、次に息子が来た時、私は「あなた達が生活に困ったときは、家に来なさい。お金なら私が持っていますから、心配しないで」と言いました。それ以来、話す時には必ず「達」という字を付けるようにしました。私の心は変わりました。大法は人心を重視します。心が変われば、前に言ったような嬉しい事もあります。

 大法弟子の心次第で全てが決まります。心が変わると、十五、六年間、心の中に凝り固まっていたものが、一気に解き放たれました。本当に雲散霧消です。人があなたに対してよくないのではありません。あなたの心が人に対してよくないのです。あなたの心が人に対して良くなれば、人はあなたに対しても良くなるのです。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/7/27/134041.html