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清華大学の修士・秦鵬さんは邯鄲労動教養所の悪徳警官の陥れて拘禁を延期された

 【明慧ネット2006月8月3日】秦鵬さんは清華大学の商工管理学部の大学院生である。1999年10月秦鵬さんは修煉体得交流会に参加したことで不法に捕まえられ、2000年6月にはまた公に煉功して連行され、清華大学を強制休学になった。2001年1月1日早朝、秦鵬さんは中関村派出所の警官に捕まえられて不法な労働再教育を2年間受けた。北京の団河労動教養所三大隊では残虐な体刑の苦難を受けた。

 2003年6月19日、労働教養所から釈放され数カ月して、秦鵬さんは清華大学の不法なやからに騙されて学校に行き、また不法に捕まえられた。彼はかつて北京市法制学校に不法に拘禁されたことがある。また両手に手錠をはめられてベッドに固定され、一人で1カ月間拘禁され、ひざを蹴られて傷を受けた。

 話によると、北京市公安局の警官は秦鵬さんをスパイ、回し者にさせようと、もし彼らに協力すればすぐ彼を家に帰すと表明したが、その場で秦鵬さんの拒絶を受けたと言う。悪徳警官は恨みと恥ずかしさで怒り出して、2003年12月秦鵬さんに不法に労働教養2年6カ月の判決を言い渡した。その後北京市公安局派遣処は彼とその他の100人を、一人1500元で河北省保定市高陽労動教養所に売った。

 高陽労動教養所で、一人の女性の法輪功学習者が悪徳警官に侮辱されて殴られたため、秦鵬さんはこのことを部署に訴えた。悪徳警官は彼に仕返しするために、縄で彼を縛って殴り、17昼夜眠らせず、秦鵬さんの胸のあばら骨に痛みをもたらしたが、いまだに治っていない。

 2005年10月、高陽労動教養所は秦鵬さんなどをまた河北省の邯鄲労働教養所五大隊に転送した。隊長は普通教育係を行かせ秦鵬さんの言動を監視させた。普通教育係の班長・尹海軍は何度も言いがかりをつけ、秦鵬さんをわざと困らせては、隊長に告げ口した。大隊長・李修段は、まだ秦鵬さんを楽にさせないと言いふらした。

 2006年2月、仕事をするとき、隊長はわざと秦鵬さんに数人の老人や足を痛めている人と一緒に荷車を引かせて、レンガや土を運ばせ、彼を苦しめた。

 2006年4月、悪徳警官は毎日秦鵬さんに20組のブタ革の手袋を造らせた。ある日、秦鵬さんが自分の仕事を終えて、普通教育係の仕事を手伝ったら、意外にも、隊長のカク長江、張坤は言いがかりをつけて、秦鵬さんが仕事をまじめにしない、大きいブタ革を壊したと言った。秦鵬さんは説明しようとしたが、隊長のカク長江に強行に部屋から引き出され殴られ、蹴られた。五大隊の労働再教育を受けている人はみんなこれを見ていた。それを見て隊長の李海明も上がってきて秦鵬さんを殴った。張坤はまだ普通教育係の張培増を呼んできて秦鵬さんを殴らせた。カク長江は秦鵬さんを殴り終えた後にまだ二人の普通教育係に昼夜秦鵬さんを監視するようにさせ、寸時も離れず、トイレにもついて行き、秦鵬さんが他人と話すことを許さず、他人にも秦鵬さんと話をさせず、さもなければ刑を延期した。今年の5月に秦鵬さんの労働再教育が満期になって釈放されるはずだった。しかし邯鄲市労働教養所の関連幹部と警官は互いに結託し、秦鵬さんの無実をはっきり知っていながら、まだお互いにかばいあって、秦鵬さんを陥れた。

 2006年6月2日、労働教養所は大会を開いて秦鵬さんが法輪功の修煉を堅持していると宣言して、共産党に反対して、社会主義に反対して、管理教育に服さず、労働を拒絶し、労働服を着ないなどの罪をあげて、秦鵬さんに6カ月4日間を延長し、そして6月を紀律整頓月と決め、秦鵬さんを反対の典型として迫害した。秦鵬さんは服しないで行政再議を書いて、検察院の駐労動教養所検察所の係りに訴えたが、公正な返答を得なかった。

 秦鵬さんは3年間悪徳警官、悪人の迫害を受け尽くし、心身を極めて苦しめられた。今なお邯鄲市労動教養所で拘禁されている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/8/3/134648.html