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修煉に必要なのは理智的に形成される集団学法の環境である


 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年7月23日】集団で学法する環境の形成と継続は、同修達が互いに比べ合い修め合う良い場所であり、執着を早く取除き、精進し正しく悟る近道であり、邪悪な迫害を否定する最も有效的な方法です。師尊は多く説法の中で、集団で学法する重要性を強調された。『転法輪』の中で、師尊は集団で学法する形式を定められた。弟子として師尊の要求に従って行う事が最も正しいのです。7.20以前、集団での学法は日常的なもので、定式が形成され、弟子の向上促進に不可思議な作用がありました。

 7.20日以降は、邪悪が恐怖な雰囲気を作り出し、同修間のこの法を学ぶ形式を切り裂いた。こうして見ると、邪悪もこの点に気づき、もし大法弟子が集団で学法する形式を破壊しなければ、相互向上が早くなり、同修達の比べ合い修め合いの中で執着をすぐに見つけ、取除き、正念の場が急速に形成、拡大され、迫害を維持し難くなります。邪悪な恐怖の雰囲気の中で、多くの同修が邪悪の悪毒策略に陥ってしまい、各種の執着心の駆使の下、だんだんと互いの接触を避け、交流を避け、最後には自宅で独自に修めても向上出来ると思い、次第に集団で法を学ぶ環境をなくしてしまった。修煉の中で精進しない現象が現れるに連れ、怠け、麻痺、情報封鎖などの状態になり、更には修煉の停滞が現れてきます。そんな時、邪悪は虎視眈々と隙間に入り、迫害を加え、皆の正法の力を撃破し弱めてしまいます。

 今でもある同修は依然として7.20以前の集団で学法する環境を感慨深く感じています。執着がある時に、集団で法を学ぶ場に行くと同修に指摘され、自らもすぐ認識して取除きます。その時は本当に素晴らしかったのです。今は集団で学法する環境が欠けています。同修達の状態に差があります。

 去年の春、同修が再び集団で学法する環境を新たに形成するため、私と老いた同修は数日かけて、幾つかの村で集団で法を学ぶ環境を形成しました。しかし、当時ある同修は、家で学ぶと団体で学ぶ違いはありますか? 時には家で多く学べます、と言いました。この種の言論は、私達が苦労して形成した集団で学法する環境が薄れてしまい、未だに私達の地方のある同修が家庭に縛られ、中には金銭に惑わされ、様々です。集団で学法する環境がなくなり、交流する時間も取れず、法を学ぶことに関する間違った道に入ってしまいました。

 数日前、私は一人の同修と会い、会話の中で彼の話は力がない事を感じ、なぜかと聞きました。最近は下痢がひどく、自分は命を失うのではないかという執着がありました。交流を通じ、彼は自分の執着に気づき、すぐ取除きました。数日後、彼の家へ行きました。会った後に彼は、その日の交流を通じ、執着がなくなったと言いました。今日私は資料を届ける際、他の同修と交流し、会話の中で彼は、修煉者が高血圧の症状が出たと言いました。私は、いいえ、私の血圧は正常だと言いました。彼は、検査する度に血圧は高くなると言い、私は、あなたは心があると言いました。この時、側にいる同修は、あなたは執着心があり、よってこの状態が演化されるのだと言いました。ちょっとした会話で、この同修の執着心を探し当て、自分自身も認識できました。

 今日、 96年に知り合った年老いた同修が亡くなったことを聞きました。数日前彼の家へ行った際、彼は命を失う事を恐れ、年も取っており、修煉も間に合わないという執着を知りました。この執着によって亡くなりました。帰って来てから私の涙は「ポロポロ」と流れ落ち、当然修煉者なのでまだ情けがある部分を排除していません。しかし、私が最も心痛むのは、集団で学法する環境が形成されておらず、多くの同修が多くの損失を受ける必要がありません。その他の損失は補うごとができますが、生命を失っても取り返せません。というのは、去年私が集団で学法する環境を形成しようとしたその晩、この年老いた同修は夜中に自転車に乗って来て、そして集団で学法することに熱心だった。もし、その時集団で学法する環境ができていたら、老いた同修の執着心もこの交流の中で取除く事ができたかもしれません。今、衆生を救い済度しています。理智的に集団で学法する環境を創り上げ、邪悪な影から歩み出し、邪悪な迫害を解体し、お互いに支持し、巨大な正念の場を形成する事は、私達大法弟子が互いに比べ合い修め合い、最後の修煉の道の要求に応じ、正しくしっかり歩みましょう。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/23/133765.html