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二言三言:執着を言い出して正しく対処しよう


 文/台湾の大法弟子

 【明慧ネット2006年8月4日】以前私は自分の考えをあまり言い表す勇気がなかった。それは、自分にはこれといった考えもないし、また一方では恐れる心もあったからだ。

 そんな中ある交流会で、学習者が自分に嫉妬心、闘争心、顕示心、名利心などがある、と言うのを耳にしてびっくりした。自分にとっては、ずっとこれらのことを言うのはとても恥ずかしいことで、特に嫉妬心のことなど、どうして言えるのかと思っていたので、この話を聞いて実に衝撃を受けた。

 後で思えば、なぜこれらのことが恥をさらす事であると思っていたのか? 修煉中、各種の執着心が現れてくるものではないのか? もともと、とても正常な事なのに、なぜ言う勇気がなかったのか? それはつまりメンツを重んじ、名誉を失うのを恐れる心ではないか。もし一人の常人が病気にかかったら、彼は他人に私は頭が痛い、足が痛い、あるいはどこかの具合が悪いと言うだろう。であれば私達はなぜこれらの執着心を病気だと見ることができないのか? 平然と直面してこそ、できるだけ早く取り除くことができるのではないか?

 その後で体得したが、勇気をもって自分の執着を言い出すことも恐れる心を取り除く過程であって、それらの心を暴露すれば、それらの心が弱まっていくと感じた。時には言い出す中で、更に隠蔽された自分の執着を取り除けたこともあった。

 ほんの少しの体得であるが、もし足りないところがあれば、皆さんの指摘を請いたいと思う。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/4/134725.html