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馬家ロン強制労働収容所で2回強制労働された胡美珍さん 現在江西女子強制労働収容所で迫害されている

 【明慧ネット2006年7月31日】江西省九江市の大法弟子・胡美珍さんは自分の信仰を堅持したため、九江市610オフィスに迫害され、2回も九江市馬家ロン強制労働収容所に連行されて迫害された。現在胡美珍さんは江西省女子強制労働収容所に連行されて迫害されている。

 胡美珍さん(女性、約50歳)は裁縫師である。1999年7月20日に江氏政治のごろつき集団による大法に対する迫害が始まって以来、胡美珍さんは正しい信念を堅持したため、610オフィスに残酷に迫害された。胡美珍さんの裁縫での収入は家庭の主要な財源だった。九江市潯陽区の悪辣な警官は度々彼女を邪魔し、連行した。そして胡さんは正常に働くことができなくなり、生活は貧困ライン以下まで落ちた。時には生活必需品もなく、彼女の家庭は何回も崩壊に瀕した。

 胡美珍さんは、2000年12月に数人の悪辣な警官により自宅からビルの下へ運ばれていき、非合法に留置場に連行されて、洗脳を強要された。2001年3月の末に家に帰ってきた。家に帰ってから間もなくして、2001年5月頃に、また610オフィスにより九江市馬家ロン強制労働収容所へ非合法に連行されていき、3年間非合法に強制労働させられた。強制労働収容所での3年間、胡美珍さんは信仰を堅持し、法輪大法の素晴らしさを固く信じ、囚人の洋服を着らなかったため、いろんな手段で残酷に虐待され、小号(いわゆる「小号」というのは幅1.5メートルで、高さ1.2メートルで、奥行き1.1メートルの完全に密

 封された特殊な牢屋である)に入れられ、両手に手錠を掛けられて吊るし上げられた結果、片方の手は変形した。

 胡美珍さんには3人の子供がいる。子供たちは母親が非合法に監禁されたため、経済の出所がなくなり、仕方なく退学した。小さい息子は小学校もまだ通い終わってない。三人の子供はこうして母親に面倒を見てもらえない情況下で、小さいルンペンのように1日が1年のように長くてつらい流浪生活をしている。お母さんが一日も早く家に帰ってくることを待っている。胡美珍さんの夫は日雇い労働をしていて、収入は低く、安定していない。仕事の時間が長いため、子供たちの面倒が見られない。この数年間の迫害の中、胡美珍さんの小さい息子は不幸にも精神分裂症を患ってしまった。1つの幸せで円満な家庭はこのように崩壊に瀕した。

 2005年4月の末、胡美珍さんは実家に帰って真相を説明したところ、再び馬家ロン強制労働収容所に連行されて、非合法に監禁された。本件を操ったのは九江市廬山区賽陽派出所の所長・衷嘉福、即ち馬家ロン強制労働収容所の元政治委員で、賽陽に転職されたのち、改まらず、再度悪事を働いたのである。胡美珍さんの家族は彼に胡美珍さんの解放を求めたが、拒否された。そのため、胡美珍さんの息子は病状が更に酷くなった。胡美珍さんの夫はかつて病気の息子に母親の配慮が必要という理由で、潯陽区政治法律委員会、610オフィスに胡美珍さんの解放を求めたが拒否され、何回も自殺を図ったが、胡美珍さんに制止された。

 馬家ロン強制労働収容所にて、胡美珍さんは再度残酷に迫害された。何回も後ろから両手に手錠を嵌められたのち、吊るし上げられた。片手は吊るし上げにより壊れて、洗濯も足で踏みながらするしかなく、全身はむくんでいた。経済的原因と家庭の負担のため、胡美珍さんの夫は半年以上胡美珍さんの見舞いにいけなかった。悪辣な警官により訓練された監視囚人は常にわざとごたごたを起こして、様々な嫌がらせを行い、胡美珍に転向を強要した。

 今回九江市馬家ロン強制労働収容所は犯罪証拠を転移するために、胡美珍さんを江西女子強制労働収容所に移して、非合法に監禁、迫害している。彼女の夫は事情を知って、省女子強制労働収容所に駆けつけ、「あなたは自殺をしないで、生きていきなさい。正念を発し、正念は強くないといけない。自殺は罪です。正念が出てこないといけない。『師は衰えた勢いを盛り返す力がある』から」と話した。監視していた悪辣な警官はこれらの言葉を聴き、すぐ突進して、彼を引っ張り出して「法輪功をやっているか」と強くたずねた。胡美珍さんの夫は「違う。私はただ彼女を戒め導くだけだ」と答えて、警官はやっと質問を止めた。胡美珍さんの話によると、修煉を堅持したため、監禁期間をまた延期されたと言う。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/31/134380.html

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