敏感でなくても発正念を重視すべきです
文/中国大陸大法弟子
【明慧ネット2006年7月14日】同修Zさんは以前発正念時に何も感じず,天目は何も見えなかった為,ただ発正念は正法時期の大法弟子がしっかり行う三つの事の中の一つである為,発正念に対して形式上では堅持したが,心の奥では自分自身の発正念がそれ程大きな威力があるのか疑問に思っていた。
Zさんは先週木曜日、長期にわたり修煉の中で漏れがあった為,全体と自身の一部の原因を含め,旧勢力に口実を与え,身体面での苦痛が現れた。修煉する前は首に病気があり,今回は頭半分が痛くて耐えられなかった。しかしZさんは直ぐに向上出来ず,自分自身の正念を強くしなかったため,頭が痛くて居ても立ってもいられず,更に衰弱し始めた。夜は更に痛くて耐えられず, Zさんはやはり起きて発正念し続けようと思った。結果的には誰かに殴られ腫れたように頭から何かが外へ出て行き,更には棒で強く痛い所を殴られ,滅茶苦茶なものが追い出されるように感じて、良くなった。
Zさんは師父が2006年2月25日の『ロサンゼルスでの説法』の中で修煉者に関し敏感でなくても発正念を重視すべきであるといった説法を読んだ。しかし情けない事に,正念の威力が自分の身の上に起きてからやっと認識し,過去の認識はあまりにも低かったと認識した。
Zさんはこの出来を文章にして明慧ネットに投稿し,自分の過去と同じ認識を持つ修煉者が向上出来る様に希望している。
(他には編集者として言いたい事は,師父が公開に発表した説法と経文からして,発正念の意味と威力は決して上記の出来事の様に簡単ではない,いずれにせよZさんと類似認識を持っている修煉者は多く法を学んでください。不適切なところがあれば指摘願います,合掌)
注: 師父2006年2月25日『ロサンゼルスでの説法』原文は次のとおりである。
「多くの学習者は正念を発することを重視していません。その大きな原因は敏感ではないからです。敏感かどうかに関わらず、師父に行うようにと言われた以上、行なってください。必ず作用があり、決して形式的なものではありません! 師父は、決してあなたに役立たないことをさせません。(拍手) それならば、あなたに対しても、私に対しても、法を正すことや皆さんの法を実証することおよび衆生に対しても、意義はありません。しかも、正念を発することはすでに、これほど重要な位置に置かれたのです。皆さんは、必ず重視すべきです。感じられるかどうかに関わらず、強い正念をもって行なってください。時間が長くなれば、いずれ感じるようになると思います」。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/7/14/132947.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/7/29/76094.html)
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