■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/08/10/mh113360.html 



許文秀さんが巴南区留置場、永川刑務所で迫害された

 【明慧ネット2006年8月6日】重慶市の法輪功学習者・許文秀さんは信仰を堅持したため、悲惨な迫害を受けた。2000年正月、南泉派出所の悪辣な警官は拷問を加えて供述させようとした。その後、巴南区留置場と永川刑務所に閉じ込められ、3年半迫害を受け家に戻されたが、身体は重い障害を受けた。

 許文秀さん(65歳女性)は、重慶市ヰ友渝中区青年路程五号に住んでいる。1999年7月、邪悪勢力が大法に対して迫害を始めた。許さんは真実を伝えるため、1999年12月29日、北京を訪れたが、連行され市中区李子(左が土で右が貝)留置場に1カ月近く閉じ込められていた。

 2000年5月8日、許さんが勤めている会社が邪悪な共産党の圧力により許さんを3カ月間軟禁した。2001年1月25日、9枚の「法輪大法好」の横断幕を作ったため、南泉派出所に連行された。私設の拷問部屋で、両腕を後ろ手にして手錠を嵌められ、悪辣な警官・劉祥海、揚代兵等4人に非合法に尋問され、殴打され、ののしられた。誰の指示によるのかと聞かれ、許さんが答えなかったため、警官に手錠をはめた両手を上へ引き上げられた。手の痛みは耐えられるものではなかった。それが昼夜を問わず数日間続いた。食事や水分も与えられず、睡眠も許されず、数日が過ぎ、手錠はすでに筋肉に食い込んでいた。彼らの迫害により両手が障害され不自由となり、日常生活は未だに自立できないでいる。

 後に許さんは強制的に巴南区留置場に1年半も閉じ込められていた。毎日湿度の高い地面に寝かされた。雨が降る度に、布団は水を搾り出す程濡れた。その後、また永川女子刑務所に移され迫害が続けられた。長期にわたる拷問による痛めつけにより、身体に重い症状が現れた。下腹部が腫れ、食事や水分も摂れない状態で、身体を動かすこともできなかった。それにも関わらず悪辣な警官は依然として労働を強要した。もう駄目だと分かりやっと病院に送られ、緊急治療した。3年半にわたる迫害を受けてやっと家に戻された。家には年老いた95歳の母親と80歳過ぎの夫が介護を必要としている。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/6/134896.html

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