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佳木斯の大法弟子王淑君さんが迫害を受け死に至る 夫は三年の不法労働教養

 【明慧ネット2006年8月4日】王淑君さんは黒龍江省佳木斯市の法輪功学習者である。1999年7月20日の迫害が始まった時、前後して二度北京に行き、大法のために公平な道理の話をした後に、職場の楊某と于某某(故人)によって610オフィスに連れて行かれ、保泉岭看守所に送られ15日間に及ぶ不法拘留を受けた。2000年7月、王さんは不法な判決で労働教養一年を言い渡され、迫害を受けた後に双腎萎縮を起こした。2001年、王さんが危篤状態だったとき、悪人は彼女の夫をも彼女のそばから連行し、不法労働教養三年を言い渡した。王さんは誰からも面倒を見られることなくこの世を去った。

 王さんは元々佳木斯の農業開拓センターの職員で、1995年に最終診断を受けた時に腎小球腎炎とされ、佳木斯の中央病院で治療を受けていたが、5〜6万元の医療費を払っても病気を治す事は出来なかった。1997年の初め、大法に出会い、予想もしなかった効き目を実感し水腫も消え、その他の病気は全てまたたく間に治り、自分で身の回りの事も出来るようになった。この後、薬代は一銭も払うことなく、職場と自分にとって大幅な医療費節約となった。

 1999年7月20日の迫害が始まった時、彼女は前後して二度北京に行き、大法のために公平な道理の話をした後に、職場の楊某と于某某(故人)によって610オフィスに連れて行かれ、保泉岭看守所に送られ15日間に及ぶ不法拘留を受けた。

 満期になった後も看守所は彼女を釈放せず、またも王さんを佳木斯看守所に移した。家族が分局政保科に3千元を恐喝され、その後やっと王さんを釈放した。そして、王さんは自分が所属している会社から職を追放された。

 2000年6月末、王さんは夫の趙学堂さん(農業開拓センターの職員)とまた一緒に北京へ行き、自身が法輪功を煉功した事によって御利益を得た情況について再び説明していた時、またも農業開拓本局の北京事務所に捕らえられた。王さんの職場の楊某と于某某は一緒になって分局に赴き王さんとその夫を佳木斯看守所に転送するようにほのめかした。夫は72日間不法拘禁された後に勤めていた会社から除名され、身分証明書を押収された。王さんは20日間拘禁された後、労働教養一年の不法判決を受けた。

 佳木斯労働教養所にいた期間、悪辣な警官は彼女が法輪功を勉強する事を許さず、彼女が勉強しようとするとすぐに彼女に向かって小便をかけ、彼女が持参した蒲団を敷かせず、使っている蒲団は労働教養所から高額で売られたきわめて薄いにせものの軍用の蒲団だった。寝るのは冷たく湿ったコンクリートで出来た部屋で、食べる物は黒く酸味のある蒸しパンで、水は与えられず、彼女は冬のある日窓の上に出来ていた氷柱を食べた事もあった。スープはまるで塩水のようなもので、少しの油も入っていなかった。彼女の治ったはずの病は少しずつ再発して、全身に水ぶくれが出来、病院にいって検査を受けたところすでに双腎萎縮だった。しかし、労働教養所は相変わらず彼女を釈放せず、家族と親戚たちが彼女に面会に行くと、労働教養所側はそれを許さず、悪辣な警官の拒絶と罵倒を受け、彼女の病状は更に悪化した。2001年の春節の6日目、労働教養所は責任を問われるのを恐れ、王さんを彼女の親戚の家に送った。

 王さんが帰宅した後、610オフィスの職員である王某某は頻繁に彼女の家にやって来て嫌がらせを繰り返し、2002年4月のある日まで続いた。前進分局政保科と永安派出所の悪辣な警察官たちが王さんの家にやって来て門を壊し、万能鍵を用いてドアを開け、ドアののぞき穴を壊し、のぞき穴から部屋の中めがけ火を放ち、更に廊下に立ち、大きな声で罵詈雑言を繰り返し家の電気を止めた。

 4月20日のある日、王さんの親戚がこの事を聞きつけ見に来たところ、悪人がこの親戚を人質として捕らえ手錠をかけ、永安派出所に拘留した。自白を強いた後、悪辣な警官たちは下の階のエレベーター口に隠れ、最も卑劣なごろつきの手段を利用し彼に王さんの家のドアをノックさせた。ちょうど部屋の中にいた王さんはすでに床についたきり起き上がれない状態で、王さんの夫がドアを開けた。7〜8人の悪辣な警官たちがいっせいに家の中に押し入り家の中を荒らし始め、テープレコーダーや大法の本を奪い取り、王さんの夫を強制連行した。部屋の中には王さんただ一人、誰も面倒を見る者はいなかった。王さんの夫は看守所に連行され、メーデーの前後に如何なる理由もないのに労働教養3年の判決を言い渡され、労働教養所の中で非人道的な待遇を受け、一日中小さな腰掛に座らされ、塩水を飲まされ、精神と身体に重大な損害を受けた。

 これ以後、王さんの病状は更に悪化し、夫に一目会いたいと思い、親戚が労働教養所に何度か行ったが、全て悪辣な警察によって門前払いを受けた。王さんがこの世を去るまで彼女の夫は手錠をかけられ、警官2人の監視の下で霊安室まで妻の遺体を見に行った。この時、夫の趙学堂さんはすでにどれが妻の遺体なのか見つける事が出来なくなっていた。彼の両目は少しずつ光を失っていたのだ。農暦の新年前のある日にやっと出所し病院に行く事が出来た。趙学堂さんは骨ばかりになるまで痩せ衰え、何も見えなくなっていた。彼の生活上の圧力は大きく、しかも彼には生活能力がなかった。会社は彼を解雇し、一銭の生活費も支給しなかった。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/4/134730.html