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罪のない良い人が投げ落とされ死亡、警官が殺人犯である(写真)

 【明慧ネット2006年7月11日】黒竜江省鶏西市の法輪功学習者・楊海玲さんは、2002年4月25日、密山市で悪警らに逮捕されて、針を頭に差し込む、腕と手をひねりまくる、目にわさびを塗るなどの残虐な体刑を受けた。2003年4月12日に密山市第1留置場の悪警の馬宝生から致命的な迫害を受けてから投げ落とされて死亡した。

 

楊海玲さん(34歳女性、1968年生まれ)は、黒竜江省鶏西市城子河区東海鉱に住んでおり、1997年法輪大法の修煉を始めた。2002年4月25日午後、密山市メリヤス工場の住宅ビル付近で待ち伏せしていた悪警らに逮捕された。当日の夜、刑事警察チームは彼女に対し拷問を加えて自供を強いた。残虐な体刑と滅多打ちをされて楊さんは立ち上がることすらできず、人に支えられて車に乗ったという。その翌日、刑事警察チームの悪警の鞠紅軍と劉小虎は留置場に行って楊さんに尋問する時、衣服を縫う針を彼女の頭と体や腕にむやみに刺しこんだ。(この2人の悪警はかつて同様な手段で別の学習者の王雁さんに迫害を加え、そして邪悪きわまりない言葉を口にした。「このように刺すとよいのじゃ、だって、傷口が見えないんだから」)このような蛮行を他の警官もまねて、続いて2、3人の悪警らが針を持って来て足などを刺した。 

 2002年6月、公安局政保課の課長の孟慶啓と杜永山などが楊さんに尋問を行い、そして残忍悲道な苦痛を与えた。

 1、彼らは楊海玲さんの腕を後ろに持っていって固定し、鼻にわさびを注入し、目にわさびを塗った。その上、殴る蹴る、警棒や瓶または金属器機で気が狂ったかのようにすでにやせこけて弱々しくなっている楊さんの身体に迫害を加えた。彼女が残虐な体刑に我慢できず壁にぶつかることを防ぐため、ヘルメットをかぶせ、重ね手錠(腕をひねて後ろで手錠をかけた上に手首にまた手錠をかける)をかけるなどして手錠が肉の中に深く食い込んだ。腕は出血で青紫色に変わり、太く腫れ上がった。腕と背中の間には力いっぱいに本に押し込んだ。

 2、吊るし: お尻を高くして、頭部を下に向けて、背中を鉄製のチェーンで手錠をつるし掛ける壁に固定する体刑である。悪警らは地獄の悪魔のように陰険に笑った。楊さんはこのような非人道的な苦難に耐えられず、大きな声で「師父!」と呼んだという。たちまち部屋の外で風が巻き上がり、砂石が扉と窓をたたいた。悪警らはびっくりして急いで走って出て行った。尋問室には楊さん一人が残された。風がある程度おさまってから悪警らはまた部屋にもどってきた。一日、蹂躪を受けて楊さんの腕は引き延ばされて折れるなど深刻な傷害を受けた。楊さんは歩くこともできず担架で運ばれて監視室に戻された。

 2002年8月、留置場から5人の学習者を労働教養所に送り込んだが、労動教養所に断られた。道理で言えば、直ちに無条件で釈放すべきものだが、留置場は引き続き不法拘禁した。2002年10月14日、楊さんなど十数人の学習者が絶食抗議を行い、無条件で釈放するよう求めたが、留置場から強制的に食べ物を注入された。11月1日楊さんなどは命が危篤に陥ったため、市病院に運ばれて緊急措置をとらなければならなかった。11月9日にまた留置場に引き戻されて迫害をうけた。 

 2003年4月11日、楊さんと他の3人の学習者が煉功をしている時、留置場の所長の馬宝生が警察と何人かの男性の受刑者を連れて部屋に入って暴力を振るった。馬宝生は楊さんの髪の毛を捉えて下の板の上に投げ落とした。楊さんはすぐ気を失った。

 翌日の昼ごろ、同室の学習者が呼吸困難に陥っている楊さんを発見して、命の危険を感じてすぐ緊急救命を行うよう馬宝生に求めた。しかし、馬宝生は相手にもしなかった。午後1時20分、楊さんの呼吸が止まった。 

 馬宝生はことの重大さを感じ、一方では直ちに情報を封鎖し、いかなる人の接近も許さず、一方では楊さんの死体を密山市人民病院に運び込んだ。そこの医師は知らないふりをしてすでに死亡して長い時間が経っている楊さんの死体の検査を行った。彼らは馬宝生とぐるになって心臓の衰弱死だと診断し、死体を病院の霊安室に送った。馬宝生は留置所スタッフに霊安室を厳密に監視するように命令し、いかなる人も死体に接近することを許さず、自分が人を殺した秘密が漏れないようにした。当日の午後、馬宝生は人を派遣して楊さん家に行かせて彼女が心臓衰弱死したので後始末をするようにと知らせた。

 

傷だらけになっている楊海玲さんの遺体
傷だらけになっている楊海玲さんの遺体

楊さんの親族が彼女の死体を目した時、もともとどっしりしていて生き生きとしていた壮健な体は、意外にもやせこけて骨に皮の状態だった。極度の悲しみによって夫は死ぬほど泣き崩れ、何度も気を失って倒れた。年を取った両親はずっと娘に面会したいと申し出たが人間性のない馬宝生に断わられ続けてきた。今このように白髪の両親が若い娘の死に直面し、その上意外にも「人民警察」の手によって無残に殺されたと思うと、母親はあまりにも重すぎる打撃によって気を失った。子供が母親の体を抱えて泣きながら「お母さん、 お母さん」と呼び続けたが、母親は二度と答えることができなかった。

 悪事をした恐怖心でびくびくした馬宝生は、楊さんの家族とどのように葬式をするかを相談した。家族は楊さんと同じ監獄室に監禁されていた人と会い、娘の生前残した遺物と遺言がないのかを尋ねたいと求めた。馬宝生は事実が暴露されることを恐れて、無理だと言った。家族は正式な訴訟手続を行って、死体鑑定をして死因を明らかにしたいと求めた。そして、留置場がすべての責任に負うように言った。

 規定に基づくと、拘禁された人がその期間に虐待されて死に至った場合、留置場はそのすべての責任を負わなければならないだけではなく、関係者らも法律によって責任を追及されるべきである。馬宝生はこれらをよく知っているため、楊さんの家族の合法的な要求を認めようとしなかった。家族はしかたなく、他界の人になった娘ができるだけ早く安らかに眠るように、また生きている家族ができるだけ早くこの胸がはり裂けるような苦しみと極度の悲しみから抜け出せるようにと思って、本心とは違って馬宝生の条件を承諾して、直ちに火葬した。

 三日目の朝、楊海玲さんの遺体は火葬された。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/7/11/132730.html

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