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同修に対してのよくない印象を取り除こう


 文/台湾大法弟子

【明慧ネット2006年8月11日】ある日、私と何人かの同修は、ある事を忘れたため、現地の一人の同修に命令調で教え諭された。この事で彼への印象はとても悪くなりました。この心をやっと取り除いたあと、もう一回彼と接する機会があったのですが、彼は途中で何も言わなくなりました。私は二度傷つけられました。たとえ彼が同修の間でどんなに評判がよくても、私は二度の経験で、彼への印象はとにかくよくなかったのです。

 また一部の同修が何かを聞いて、あっちこっちで噂を広めて、結局何人もの間で矛盾したことになってしまう。しかも、その噂はすべて当事者が自分を擁護するための言葉です。

 同修の間でお互いに協力し合っても、どうしても意見が食い違う時があり、また時々は矛盾を生じたりします。しかし修煉者としては内に向かって探すべきもので、この経験は私に何を修煉させるのでしょうか。やはり同修に対するこのよくない印象を持つ心を取り除くべきではないかと思いました。また自分自身も同じことがあるのではないかと内に向かって探さなければなりません。

 師父は『オーストラリアの法会での説法』で講じられました。「ですから、如何なる環境においても、如何なる情況においても、トラブルに遭った場合、善良の心、慈悲の心をもって全てに対処すべきです。自分の敵を愛することができなければ、圓満成就することができません。(拍手)なぜある普通の人間があなたの気に障った時に、あなたは相手を許すことができないのでしょうか?! なぜ、かえって、常人のように相手と言い合い、争うのでしょうか? 学習者同士の間も同じではありませんか?」

 だから、私達は同修に対するよくない印象を取り除いて、協力が必要な時、自然に、度量を広くして、全体を重視し、共に事をしっかりと行って、共に高まりたいと思います。書きだした目的は、互いに自分の不足を分かってもらって、お互いに比べあって修煉し、共に精進していくためです。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/11/135139.html