自分の根本的な執着を見付ける 文/大陸大法子弟子玉潔
【明慧ネット2006年8月6日】私は高校生の大法小弟子です。師父について正法活動に参加してすでに七年になります。99年7.20以前は小学生でした。毎日両親と一緒に煉功し、法を学んでおり、とても精進していました。私は自分の言動を法の基準に従って厳しく律していました。しかし、7.20以後は、学法や煉功が以前より出来なくなり、安逸心が出て、苦労を恐れ、学法が少なくなり精進できなくなりました。邪悪に隙間に乗じられて、心性の向上もなかなかできなくなりました。しかし法の勉強を通じて、ようやく自分にある多くの執着を見付けることが出来ました。
一、闘争心
私は気が短く、頑固で、闘争心が強い人間です。私の母親の性格もあまりよくないので、二人が一緒にいるとよく喧嘩をしました。怒り出すと、自分が修煉者であることさえ忘れてしまい、善と忍が出来なくなります。内に向かって自分の原因を探すように父親(修煉者)から何度も言われましたが、何故母親はそのようにしないのだろかと、いつも理屈をつけて反駁していました。これは強い執着心であり、他人が自分に対して優しく対応することを望み、褒め言葉を好んで聞きました。学法により分かったのは、母親とよく喧嘩することは、私たちの試練であり、私たちの修煉環境でもあるのです。もし二人ともよく修煉が出来ていて、心性も向上していれば、このような問題が起きるはずはないのです。ですから、私たちは何時も内に向かって自分を探し、足りない所を探し出して、ある段階に長時間留まってはならないと自省すべきです。
二、情の執着
私は何度も自らが情に執着していたことを書き出そうと思いましたが、しかし同修者に見くびられることや同修者に違った目で見られることを恐れて、大法に泥を塗るのではないかと思って、書き出すことができませんでした。しかし、今行っているすべてに対して師父と天上の神々がはっきりとご覧になっていることを信じています。ただ自分でその心を隠して、自分で自らを騙しているだけでした。今日、この心を暴露して、この身に隠す所をなくし、情に対する執着を一掃し、情の魔が自らを妨害することが出来なくなるようにしたいと思います。情に執着すると、勉強も百パーセント集中できなくなり、成績も下る主な原因にもなります。
私は中学生の時、優等生でした。高校入試で優れた成績をとり一流の高校に入学して、両親を喜ばせました。真面目に法を学び、学校の勉強に努力することが両親に対する恩返しの唯一の方法だと思い、高一から一生懸命に勉強しようと決意しました。しかし、頑張って勉強している時に、中学校の同級生に出会って、常人の情が生じてきて、情の中に堕ちてしまいました。師父は何度も私を教化してくださいました。私は師父と両親に申し訳ないと思いながらも、大法に従って自らに要求しませんでした。父は私がすでに堕ちてその中から自力で抜け出せないのを見て、何度も話し合ってくれました。私は悔し涙を流しました。情のために、学校の成績が急激に落ちてしまい、自らもその道理が分かっていましたが、断ち切ろうと思うと、いつも迷ってしまいました。これらの行為はすでに常人であり、常人よりも劣っていると思いました。学生として、基本的な任務は学習ですが、私はそれも出来ないのに、煉功者だとなおさら言えますか。
私は師父にも両親にも申し訳ないと思いました。これらのすべては私が乗り越えなければならない関であり、乗り越えられたら問題は無いのです。しかし、私は情の関に留まっていた期間があまりにも長過ぎたと思うと、悔しくてたまりません。悔しい気持ちに留まるだけではよくないので、実際に行動すべきであり、しっかり法を学び、努力して成績を上げ、「大法の小弟子」と呼ばれることにやっと申し訳がたち、さらに多くの縁のある人を済度することが出来るのではないかと思っていました。大法の機縁は容易なことではありません。情の執着により法を学べる千年にも会えない貴重な機縁を失うのはよくありません。師父は我々のために大変苦労をしておられます。私たちは法を実証し、衆生を済度するために力を尽くして、円満成就にまで至ることこそが、師父に背かないことだと思います。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/6/134878.html)
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