私の感覚麻痺と世の人の感覚麻痺
文/黒竜江省の大法弟子
【明慧ネット2006年5月25日】私が世の人に悪党の監獄、労教所、強制収容所での大法弟子の生体臓器摘出について話すと、この行為を非難する人、表情を変えない人、信じない人がいます。非難する人でも、心からではなく、基本的には感覚が麻痺している印象があります。このことから分かるように、中共の統治下で、多くの人は感覚が麻痺し、善悪も分からなくなってしまいました。
ここ数年、大法弟子は人々の良心を呼び覚まして救い、精神面と経済面に多くを貢献してきました。何人の大法弟子がこのために命を失ったのでしょうか。それなのに、大法弟子が各種の方法で人々に真相を話しても、なぜ人々は依然としてこんなに感覚が麻痺しているのでしょうか。中共の統治、人々の道徳の低下といった主要原因以外に、私は、これは大法弟子の感覚麻痺と関係しているのではないかと思います。私は自分の心を探り、自分にも少し麻痺があるのではないかと感じました。
実は、私は多くのことについて感覚が麻痺していました。三つのことはしていましたが、それぞれ心をこめていませんでした。自分は法を正す時期の大法弟子だから、三つのことはしなければならず、すべて段取りをふんで事を進め、型通りに行う公務のようになっていて、心を静めて法を学ぶことができませんでした。煉功も、忙しいからしない、疲れたから少ししかしないといった感じで、毎日できませんでした。正念を発することも前のように精進できませんでした。以前は江鬼が出国するとき、本当に毎時間正念を発していました。どんなに眠くても起きていました。しかし今は一日四回の世界一斉の発正念でも、夜中に起きられず、おきてもぼけていて、正午の時間があるときもせず、6時と12時に心を静められずにするだけでした。真相を伝えるのも、資料があれば配り、チラシがあれば貼りました。ほかの人が送ってくれば、家の中に置いておくわけにもいかず、任務をこなすようでした。口頭で真相を伝えることも以前のように進んでしませんでした。
話せる人はもう一通りすべて話し、知らない人にはなすすべがありませんでした。捕まえられた同修の救援活動も、はじめは連続して猛烈に正念を発し、数日後には冷めてしまいました。労教所の同修たちの救援はさらに続けることが難しくなりました。法から遠ざかった同修を助ける面では、ここ数年あまり精力を投入しなかったものの、これらの同修たちがなかなか精進できないので、やる気が薄れてしまいました。自分も力を尽くし、どうしようもないと感じました。法から遠ざかり、修めたり修めなかったりする同修の状態は紛れもなく感覚麻痺ではないでしょうか?
師父は『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』でこのようにおっしゃっています。「昔言ったことがありますが、今日常人社会で起こるすべてのことは、実はみな大法弟子の心が作用しているのです」。
私は大法弟子として、修煉の中でこのように感覚が麻痺し、どうしようもなくなってしまいました。悪党にこんなに長い間統治された常人にとって、私たちの感覚麻痺は大きく影響します。私は多くの麻痺は、根本的に師を信じ、法を信じきっておらず、法を正す時間に対する執着の表れだと思います。党文化の毒害、一連の革命や運動で、人々をタフにさせ、何をするにもまず熱血があり、時間がたつと人々はなにも気にしなくなり、最後には感覚が麻痺してしまいました。何をするにも麻痺した状態でやるようになりました。
師父は『最後になればなるほど、精進すべき』でこうおっしゃっています。「数少ない一部の学習者、ひいては古い学習者もこの時期、多かれ少なかれ意気消沈の状態に陥り、精進の意志を緩めてしまい、これも法を正すことの時間に対する執着、または正しくない後天的観念の妨害によるものだと認識していません。そのため、旧勢力が以前人類空間の表層に残した妨害の要素と邪霊、卑しい鬼に隙に付け入られ、これらの執着と人間の観念が拡大され強化されたことによって、この意気消沈の状態に陥ってしまいました」
自分たちの感覚麻痺の根源とそれが法を正すことと衆生を救うことに与える影響を認識して初めて、最後になればなるほど精進でき、法を正す進展についていき、さらに多くの衆生を救うことができるのだと私は悟りました。
同修と切磋し、旧勢力と邪霊、乱鬼の私たちへの干渉を解体し、自らを精進させ、麻痺した状態から抜け出し、さらに多くの人々を救うために、この文章を書きました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/25/128724.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/6/6/74165.html)
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