■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/08/16/mh184762.html 



電車での「偶然」の出会い

 文/日本東京の大法弟子

 【明慧ネット2006年8月3日】7月29日、日本の大法弟子は名古屋で、悪党による生きている法輪功学習者からの臓器摘出事件と拷問の実演、及び集会とパレードを行った。28日午後、私たち夫婦は電車に乗り名古屋に向かった。

 私たちは「青春18」チケットを購入したので、東京から名古屋までは6、7時間かかり、また乗り換えを何回もしなければならなかった。

 私たちは家を出て電車に乗り、座席に座ると、すぐ大法の本を取り出して読み始めた。読んで数分も経たないうちに、側に座っていた女子学生が「みな中国の方でしょう」と話しかけてきた。すぐ頭を上げてみると、側に座っていたのは2人の中国人の女子学生だった。彼女達も互いに面識が無かった。私たちはすぐ互いに挨拶をし、みな偶然すぎると感じた。

 私たちに話かけて来たあの女子学生は「あなた達が読んでいるのは法輪功の本ですか」と言った。私たちは名古屋で行われる法輪功のパレードに参加しに行くと伝えた。もう1人の女子学生は法輪功が日本でパレードが行えることに驚きの表情だった。私たちは彼女達に真相を伝えた。電車から降りるとき、最初に話しかけた女子学生に電話番号を教え、彼女に明慧ネットを見てまた煉功できることを望んだ。彼女は直ちに自分には煉功する友人がいると話し、その友人と連絡を取ると言った。私たちはもう一人の女子学生に『九評』を渡した。彼女は喜んで受け取った。

 その後、東京で電車を乗り換えた。出発して1時間余り経ってまた電車を乗り換えた。座席に座って私たちがしゃべり始めた時、通路の向こうに座っていた一人の女子学生が驚喜の声で「あなた達は中国人!」と言った。私たちが「そうですよ、こちらに来て一緒に座りましょう」と言った。それからの1時間あまり、私たちは大法が中共の迫害を受けていることから、中共の無神論は人類の道徳を破壊すること、また現代科学の限界性も語った。彼女の受け入れ能力がよいと感じたので、また神が人間を創り、人が神を信じないためにもたらされる危険、また『九評』と脱党について伝えた。彼女はかつて青年団と少年隊に入っており、仮名で脱退することを勧めると、すぐ同意した。私たちはまた明慧ネットのホームページを教え、明慧ネットと大紀元のホームページを見るように伝えた。また可能であれば、煉功に来てほしいと伝えた。彼女はホームページを見ると言った。

 私たちは引き続き電車の旅を続けた。もうすぐ名古屋に着くころだった。私たちは頭を下げて学法をしていたが、私達の側に空席ができた時、1人の中年の女性がそこに来て座った。妻が頭を上げて私に何かしゃべると、その女性はすぐ「あなた達は中国の方でしょう」と話してきた。私たちが「そうです」と答え、その次は真相説明を行った。その女性は、迫害が始まる前に、ちょうど煉功をしようとしたところだったが、迫害が始まり、煉功もできなかったと話した。今私たちに出逢って、彼女はまた煉功をしたい気持ちになった。私たちは翌日公園に来て私たちを探すように伝え、電話番号も伝えた。

 名古屋に着くと、同修が車で迎えに来ていた。彼女の家へ向かう途中、真相を伝えるときに知り合った常人の奥さんが子供を連れて、今彼女の家に来ていると教えてくれた。その日、この友人は突然電話をかけてきて、「20分後にあなたの家に着きます。あなたの家で何日か泊まる予定です」と言った。同修の家はあまり大きくなかったが、彼女が泊まることを承諾し、歓迎の意を表した。同修は、以前彼女に脱党のことを勧めたが、自分と関係がないと言い、今日私たちは一緒に彼女に真相を伝えようと話し合った。

 同修の家に着いた後、みな一緒に雑談をした。人間が地震、津波などの災難に直面したとき、人間がどれほど小さいかについて話した後、私たちは彼女に脱党を提案した。彼女は「それなら脱党します」と答え、暫く経つとまた「私の家族もみな脱党させたい」と言った。私たちは彼女に親戚や親友にも勧めにいくように教え、本人の同意がないと認められないと伝えた。彼女はそうすると言った。

 こうして、1日の間に、4回も縁のある人に出会い、それもみな自ら積極的に話かけてきて、しかもみな煉功したいとか、或いは青年団や少年隊から脱退したいとか、或いは更に大法を知るようになった。

 ちょうど大法の活動に参加する出発直前に、明慧ネットを開くと、師父の新経文『米国首都法会での説法』がネット上に掲載されていた。新経文を何回も読んで、また28日の1日の体験を思い出すと、まぎれもなく、この時期の時間がどんなに貴重か、私たちに修煉させ、法を証明させ、衆生を救い、済度させるために残された時間は真に少ないと痛感した。この1日の

 体験を書いたのは、同修と共に互いに励まし合うためである。 

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/8/3/134677.html

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