北京の牛進平さんは監視され 妻の張連英さんは生死不明(写真)
【明慧ネット2006年8月11日】2006年5月21日、北京の法輪功学習者・牛進平さんと曹東さんは封鎖を突破し、中国人権情況の考察のため北京に来ていた欧州議会副議長・エドワード・マクミラン-スコットさんに会った。中共の法輪功学習者に対する迫害、特に生きた法輪功学習者より臓器を摘出、売買して暴利をむさぼることに対するスコットさんからの調査を受け入れた。その後3日目(5月24日)に、現地派出所の警官、街道610オフィスの頭目と住民委員会のメンバーは牛進平さんの家に訪れて嫌がらせをし、いろいろ追及した。現在牛進平さんは家にいるが、監視されている。
| 連行される前の張連英さんと彼女の小さい娘
現在彼女はすでに迫害されて姿がすっかり変わっている |
| | 牛進平さんと彼らの小さい娘 |
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2006年4月20日、家族に通知しない情況下で、不法役人らは密かに牛進平さんの妻・張連英さんを北京女子強制労働収容所へ移した。強制労働収容所では彼女に他の法輪功学習者と接触することを禁止し、直接独房に監禁して、厳しく監視し、迫害した。1年前、乳飲み子を育てていた張連英さんは、再び不法に捕まえられ、現在北京女子強制労働収容所に監禁されている。すでに連続して1年余り断食していて、生死不明となり、情況は非常に緊迫している。
牛進平さんは早くから会社により公職を剥奪され、経済的には邪悪により断ち切られ、家屋を売り払って得た金で生活を維持していて、非常に貧乏だった。しかし強制労働収容所は牛進平さんが張連英さんのために強制労働収容所に貯蓄した個人の金17元まで勝手に使い、毎月電話をかけてきて牛進平さんに金を要求した。毎回脅し取られる金は少なくない。その口実はなんと張連英さんがずっと断食しているので、栄養品と点滴で彼女の生命を維持する必要があるということだった。しかしずっと領収書はくれないし、また牛進平さんと幼い子供が張連英さんに面会することも禁止した。
牛進平さんと張連英さん、長女の牛丹さんはみな法輪大法修煉者である。1999年7・20以来、ただ真善忍の信仰を堅持するために、法輪大法の真相を話したために、7年来家族全員が中共悪党による残忍非道な迫害を受けてきた。
牛進平さん(52)は北京市朝陽区香河園柳芳南里の住民で、元の北京のある鉄鋼会社の従業者だった。1999年10月に北京の悪辣な警官により精神病院へ入れられて、強制的にある超強力な混合薬物を服用させられた。彼が精神異常でないと信じる一人の医者の助けにより、最終的に釈放された。その後に何回も不法に連行され、家宅を捜査され、拘留された。
2000年6月、牛進平さんは黒竜江省の佳木斯市で他の法輪功学習者と交流したため、現地の悪辣な警官に不法に拉致されて、2年間強制労働された。暗黒な佳木斯強制労働収容所において、牛進平さんは正しい信念を堅持し、終始屈服せず、長期に渡り断食した。体がとても弱った。彼の体にはいまだに刑務所で電撃棒で電撃された火傷の傷痕が残っている。
2年の不法な強制労働期間が終わり、まだ牛進平さんが家に戻らないうちに、北京朝陽区香河園派出所の悪辣な警官は家族に通知せず、牛さんを密かに北京のある洗脳班へ移した。牛さんは洗脳班で殴打され、睡眠を奪われるなどの残酷な虐待を受けた。牛さんが長期に渡り拘禁された間、彼の70歳を過ぎる年寄りの母親は、毎日息子が帰ってくることを待ち望んでいた。毎回街を歩くとき、常に他の人が自分の息子のように見え、涙の日々を送っていた。
牛進平さんの長女・牛丹さんは悪辣な警官により何回も連行された。2000年、当時たった10数歳の牛丹さんは北京女子強制労働収容所に監禁され、1年間不法に強制労働された。1年後また洗脳班に送られて迫害された。
牛進平さんの妻・張連英さん(46)は大学を卒業して、元の北京光大グループの部級幹部で、公認会計士だった。1999年から現在まですでに不法に7、8回捕らえられ、毎回正念で監禁場所から飛び出した。2001年に不法に2年の強制労働を科され、黒竜江省佳木斯の女子強制労働収容所で残酷な刑を受け尽くし、長期に渡り断食で抗議した。連続して80日近く断食して、気息奄々となったとき、東北の悪辣な警官はやっと張連英さんを北京へ返した。現地の派出所は彼女を投げ捨てて逃げ去った。2002年に彼女は国安のスパイに不法に連行された。北京の通州洗脳班、北京大興法制培訓センターと北京公安病院でいろんな残酷な刑により虐待され、家に戻ってからは610オフィス、悪辣な警官、街道要員の尾行、監視を受け、家族全員が絶えず嫌がらせをされた。
2005年6月14日の午前8時半、張連英さんは家で子供の世話をしていた。香河園派出所の所長・王瞳を始めとする十数名の悪辣な警官は不法に張さんの家に飛び込み、強制的に家宅捜査を行い、家の中をひっくり返した。如何なる証拠も探し出してない情況下で、まだ離乳していない赤ん坊が泣き叫ぶことも顧みず、強制的に張さんをパトカーに入れて、不法に朝陽区留置場へ連行し監禁した。2005年6月30日、また不法に彼女に2年6ヶ月の強制労働を科し、北京労働局団河派遣所に移した。張さんは決して転向せず、邪悪の如何なる命令と指図にも協力せず、留置所に監禁されて間もなくしてから、派遣所に行くまでずっと断食で抗議した。
張連英さんは北京労働派遣所で邪悪により10ヶ月にわたる長い間狂気じみた虐待で迫害された。派遣所の悪辣な警官・張冬梅は8人の犯罪者を指図して、毎日順番にハエたたきで10時間あまり張さんをたたいた。その間、彼女に一度も洗面することを許さず、トイレにも行かさず、大小便はズボンの中にするしかなく、生理が来ても同じだった。彼女に睡眠を与えず、首は縄で縛られ、とても長い時間足のつま先がちょうど地面につくぐらいで天井板につるし上げられた。体は長期にわたりねじ曲がられて腰掛けの上で縛られたまま、連続して24時間めった打ちされて、全身は傷だらけになり、体の多くの所に鬱血ができ、頭部、顔面部の多くの所に長さ約3㎝の深さが異なる傷跡ができた。眼底出血し、聴覚障害が起こり、顔面部は変形して、すでにその容貌を見分けにくくなり、しかも動くのは苦しく、精神はぼんやりして、生命が危険にさらされていた。
牛進平さんは派遣所に行き、張連英さんに面会したことがある。彼女は迫害されてめちゃくちゃになり、生命が危篤な情況においても、沈黙せず、襁褓の中に小さい娘を抱いてあちこちに行き、告訴し、真相を伝え、良知を呼びかけ、救援を呼びかけた。中共の暴政下の社会は正義も道理もない。敢えて牛進平さんの告訴を受理する部門はなかった。一部の職員は法輪功の事だと聞くと、話も大きい声ではまったく出来なくなった。それでも、牛さんは1年間彼が行くすべてのところで、ぜんぜん顔も知らない正義感がある世間の多く人から同情を得た。これらの人は中共の政府部門、司法部門と直接法輪功を迫害する機関の職員、および人権保護弁護士、記者などなどだった。一部の人は悪党の暴威すら恐れず、自発的に確かな声援或いは救助の手を伸ばしてくれた。
張連英さんが不法に派遣所に監禁されていたとき、牛進平さんは時々張さんの電話を受け取ることが出来た。彼女からの手紙を受け取り、彼女に2回面会できた。しかし4ヶ月の内で妻にたった10分間会っただけだ。ときには面会日が過ぎた後、やっと彼に妻と面会できると教えてくれた。2006年旧暦の新年以降、妻からは手紙もなく、電話もなく、更に妻に会うことは出来なくなった。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/11/135343.html)
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