師父は私にあの根深い執着を捨てるように教えられた 文/大陸大法弟子・琳琳
【明慧ネット2006年7月30日】何故か、私は師父がずっと私を待っていらっしゃると、この縁ある私をずっと待っていらっしゃると思っていた。2003年年末、私はやっと本当に修煉の道を歩み始めた。
1998年、私は『「法輪大法」は素晴らしい』と言う事を知った。1999年に私は何冊か大法の本を得た。しかし、いろんな理由で私はずっと修煉の門に入れなかった。「7.20」以降、中共悪党の天地を覆い隠すかのような流言飛語と誹謗の中、家族は悪党の中傷的な宣伝に騙され、私に大法の本を上納するように圧力をかけた。私は後で大法を学ぶ時、これらの本がまた使えると思い、何冊かの本をこっそり隠した。
私は兄弟の中で一番上である。両親も仕事が忙しかったため、私は11、2歳の時からまるで管理人のように兄弟の面倒を見たり、この家庭を管理したりしていた。両親は常に一カ月間の生活費を全部私に渡し、私はそれをきちんと按排できた。その上私は勉強もよくでき、隣近所はみんなそれを知っており、いつもほめ言葉やうらやましそうな視線を受けていた。そのため私はいつも自分にはとても能力があり、他人はみんな私の言うことをきかなければならないという観点と考え方が身についていた。また何をやっても、他人に自分がどれだけよくできたか、どれほどよくできるかを知ってもらおうと思っていた。まるで師父が『轉法輪』の中で説かれたように「いろいろな心が捨てられず、そうした多くの心がすでに当然なものになっていて、本人も気づきません」「普段から自分の名誉や利益のために、ちょっとした良いことがあると、それをことさらに言いふらしては、いかに自分がすごいか、強いかを吹聴します」のようであった。
私も自分の事業の上で、獲得した業績に対して割りに満足していたため、いつも何気なく顕示した。しかし、修煉を始めてから、いつも自分の顕示心に対する家族の批判の声を聞いたり、あるいは私のその心を刺激する批判も聞いたりした。最初は納得がいかず、自分はまさによくできる人で、嘘をついているわけでもないと思っていた。しかし後になって、これは師父が彼らの口を借りて私の顕示心を取り除いているのだと分かった。このように一時期が過ぎると、次第に人の批判を受け入れる事ができ、話すときはいつも自分を顕示しているのではないかと考えるようになった。しばらく経つと、私は自分なりにこの顕示心はすでに割りによくなったと思い、他の人がまた言うと反駁し始めた。正にその時こんな事が起きた。
ある日、同僚と従妹が私の家にやって来た。その時私は晩ご飯を作っていたが、従妹は私の娘の「フラフープ」を持ってきて回し始めた。同僚は「わ-! 素晴らしいですね」と褒めた。その時私は振り向きもせず「大したことはないよ、私にも回せるよ、小さい時からこれで遊んで大きくなってきたのですよ」と言った。その後同僚と世間話をしたが、話したことは全部自分の過去の輝かしい経歴と人に対して自分がどれだけ誠意があり、やさしかったかなどで、自分の成果ばかりを自慢していた。
その夜、私はとてもはっきりとした夢を見た。夢の中で、従妹が私の家で「フラフープ」を回していた。師父は従妹を指差しながら「見て! 本当に素晴らしいですね!」とおっしゃった。私は「私にも回せます。彼女より上手に回せます」と言った。師父は「じゃ、あなたも回して!」とおっしゃった。私は「フラフープ」を持ってきて回した。しかしあの「フラフープ」は半分が軽く半分が重くて、回すとすぐ落ちた。私はまた回したが、又落ちてしまい、一回も回すことができなかった。私は振り向いて師父を見ながら、きっと師父がなにかの方法を使われたのだろうと心の中で思った。師父はとてもとても慈悲深い表情で私を見ながら笑っておられ、一言もおっしゃらなかった。私はすぐ分かった。師父はこのだらしない弟子がぐずぐずとこの心を取り除かないのを見られ、夢の中でもう一度悟らせてくださったのだということを。
目が醒めた後、私は涙が止まらなかった。うれしかったのは夢の中であんなに慈悲深く尊敬している師父に出会えたこと、焦るのは自分にまだ取り除かれていないあの心(もちろん自分でさえ気付いているさまざまな心)があること、師父の慈悲深く苦労の多い済度に対して面目がなかったことなどであった。考えて見れば師父は私たち一人一人の弟子のために、あんなに多くのことを背負ってくださり、あんなに多くのことをしてくださり、また私たちの修煉の道でいつも私たちを見守り、悟らせ、私たちが正しく歩み、やり遂げて基準に達する事を期待されていらっしゃる。しかし、私はどのようにしたのか? 常に自分を修正はするけれども、肝心な時になるといつもあの心、あの情、特に子供に対する情を放下できないでいる。8歳になる小弟子が私にこのように質問したことがあった、「もしママが圓満成就する日、ママが行こうとする時、私がママに『もう一回振り向いて私を見て』と言ったらママは振り向いてくれる?」と。彼女の言う意味は振り向けば私が落ちてしまうと言うことだった。私は一瞬言葉が出てこなかった。
私は師父に逢ったことがない。しかし、毎回師父のことを思い出す度にいつも涙が止まらなくなる。私にはあの涙は生命の深い所からくる、報いようのない感激の涙であると分かっている。
同修たちよ! 私たちはただ残った道を正しくよく歩み、師父のご苦労を一つでも少なくし、残念に思う心を一つでも少なくして、円満成就の日、師父と共に元の家に帰りましょう!
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/7/30/134351.html)
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