日本明慧
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階段からの衆生の目線


 文/十方

 【明慧ネット2006年8月21日】最初に法を正す活動に参加したとき、まだ修煉を始めたばかりで、法に対する理解が浅く、何回も極端に走ろうとしたことがあったが、師父に啓示され、大きな過ちを犯さなかった。以下は経験した一つの例である。

 ある日、夫がいない間、私は宣伝ビラを印刷しようと思って、買い物で残ったお釣り10マルクを夫の財布から取り出そうと、廊下に立って財布を開いた時、階段に異なる空間の人が重なり合って現れてきて、階段を下りたり、登ったりして大変騒がしかった。私の指が10マルクに触れた瞬間、みんなが止まって、顔をこちらに向けて、呼吸が止まったように、目をじっと私の手に注目させた。たちまち周囲はひっそりと静かになり、時間もすでに固まったようだった。私は、自分の家のお金を取り出すが盗むのではないと思い、頭を上げて大きな声で、「このお金は宣伝ビラの印刷に使うから、自分のために使うのではない」と言って、そしてみんなが注目している中でお金を取り出して、自分のポケットの中に入れた。

 後になってどう考えても正しくない、やっていることは正々堂々としておらず、神聖で厳粛な法を正す活動に合わないと感じ、二日後、自分の行為は大法弟子の要求に符号していないと納得して、機会を見て、お金を元に戻したいと思った。

 階段の下に立って、お金を握った手を挙げて、階段に向かって、「前回私は間違っていた、今お金を返すから、みんな見て!」と言った。この時、階段で各空間の人が同時に現れてきて、彼らは足を止め、後ろを向いた。私はお金を財布に戻したあと、やっと安心して続けて階段を上ったり、降りたりした。それから自分の天目も閉じて、階段の人も去って行った。

 一人で階段の下で一息ついて、「他の空間の人は私たちの一挙一動をこんなに厳しく見ている」と思った。すぐに啓示していただいて、私を目覚めさせ、自ら過ちを正すことができ師父に感謝した。法を正す自分の修煉の道に悔いを残さないで良かったと思った。

 それから、夫はずっと私の出費についてとても厳しく制限するようになり、前回の教訓をいかして、再び不正にお金を取ったことはなく、かえっていろいろなルートから正々堂々とたくさんのお金が入ってきた。例えば、何か姑にできないことを手伝って、小遣いをもらったり、自分が修煉しているから病気にかからないので、病院へ行かないし、薬も飲まず、医療保険会社から奨励金として連続数年で1、2カ月ほどの保険料が戻ってくる。金額的にはそんなに多くないが、大法の資料を作るには十分だった。

 次元に限りがあり、不適当なところはご慈悲に指摘を願います。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/21/136015.html