■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/08/27/mh304826.html 



黒竜江省鶏西市の大法弟子の劉耜雋さんは迫害により無亡くなった(写真)

 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年8月19日】黒竜江省鶏西市の法輪功学習者・劉耜雋(Liu、Shijun)さん(42歳男性)は、元鶏西市水産局の職員で、鶏西市鶏冠区に住んでいた。2005年3月3日に42歳で迫害によりこの世を去った。 

 
劉耜雋さんの若いときの写真

劉さんは修煉する前に多くの病気にかかっていた。一番重いのは1994年に患った肝硬変で、当時すでに深刻に腹水がたまり、医者に治療できないと診断され、体がだるく歩くのもかなり深刻だった。

 1996年に劉さんは幸運に法輪大法と巡り合って、修煉してまもなく鼻から血が流れ始め、約半月後、肝硬変と腹水はだんだん消えて、健康に戻った。

 1999年7月20日、法輪功が不法に迫害され、劉さんは鶏西市鶏冠区の東風派出所に20数日間拘禁され、8月に陳情に上京して、北京の悪徳警察に連行され殴打され、一人の警察に肝臓の部分を蹴られ、痛くてたまらなかった。9月に鶏西市鶏冠区の東風派出所が北京に彼を迎えに行ったとき、劉さんに上着と外ズボンをはかせず、もう一人の学習者の鄭文広さんと一緒に下着のままスリッパで帰ってきた。鶏西市の第2看守所で81日間拘禁され、その期間彼に夜勤をやらせ、彼は肝臓の痛みで、立つことすらできず、座っていた。

 看守所で、悪徳警察は劉さんの体の状態に無関心で、一般のクラスから厳しいクラスに移動させられ、更に肉体的な労働を強制され、野菜を保存する地下室を作ったり、埃を運んだり、豚小屋を掃除したこともある。釈放されても現地の警察の韓俊強らとコミュニティの管理人員、会社の上司などが電話をかけて来たり、家をかき乱し、脅したりして、家族まで静かな生活ができず、まったく穏やかな生活ができなかった。

 2000年の夏、劉さんはしかたがなく妻とまだ1歳になったばかりの娘を連れ、家を出た。故郷を離れ、苦難の中で生活のため薬品を売ったり、獣医をしたり、お米、キクラゲを売ったこともあった。どこへ行っても、彼は必ず周囲の人にいい人と見られ、道徳の高い人と評判された。

 2005年3月3日、流浪生活の苦労の中で、法を実証する中、劉さんはついに耐えられず、突然大量に血を吐いて、3日後の3月6日にこの世を去った。

 現在劉さんの娘は親族の援助のもとで学校に通っており、親子の生活はとても難しく保証がない状態である。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/8/19/135912.html

明慧ネット:jp.minghui.org