人間が神様を信じない代価
【明慧ネット2006年8月25日】これは真実のストーリだ。
八十数年前、邱氏は四川省梁平県永盛市に住んでいた。長男、次男、三女という家族を持ち、子供達はみな元気で無邪気で、本当に羨むような幸せな家庭だった。
しかし災いは意外な時にやってくるもので、ある日、長男が外で遊んでいる時、スズメを打つ弓で、山上のお寺の中の仏像のひげを打ち落とした。この事件は大騒ぎになってしまい、すぐに伝わった。隣近所の仲間は子供のお父さんに「あなたはお金を掛けて、紙銭を燃やして、線香、蝋燭を立てて、ひげを修繕して、仏さまに子供は物事が分からないから、仏さまに子供の過失を追及しないように謝罪しに行ったほうがいいよ」と言った。
しかし子供のお父さんは、こういう説得に納得せず、信じないで、何もしなかった。善を勧める話をたくさん聞くと、煩わしく思い、神様や仏様をまったく信じなかった。「もしそれが本当であれば、長男を殺して持っていくがいい」とふてくされを言った。
この話を言い出して、数日後、突然に、この子供が怪病に掛かって死んだ。
この件は現地でしばらくの間に大騒ぎになった。多くの人は子供のお父さんが人の話を聞かないことを責めて、数日経った後、身内と隣近所の人達は再び彼に勧めにいった。しかし彼は自分の間違いをまったく認識できず、これは偶然の出来事だと言い、長男は死んだが、次男がまだいるので、もし仏様が本当にいるなら、次男も殺して持っていくなら、私は本当に信じてあげるといった。
この話を言い出した後、やがてある日、活発な次男も突然に急病で死んだ。
このように二人の子供は父が神を信じようとせず、ふてくされていた時に、命を落とした。
幸い、まだ一人の娘が残っていた。この娘は現在すでに80数歳になった。この話は彼女が自分で私達に教えたものである。
この話の主人公、は神を信じないで、まさに善の勧めが耳に入らず、災害は続いてやってきた。人はあえて神に逆らえば、ついに大きな損に繋がって、代価は大変大きい。人々よ、目覚めましょう!人が神を信じなくても、神は己に存在する。一念の差で未来を定めるのです。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/8/25/136296.html)
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