吉林、河北、遼寧、山東:5人の法輪功学習者が迫害されて亡くなった
【明慧ネット2006年9月3日】張淑清さん(55歳女性)は吉林省長春市に住んでいて、1995年5月3日に法輪大法を得て、修煉を始めて、心身ともに大変良い効果があった。2000年2月北京に行って大法の真相を伝えようとしたが、長春駅で悪らつな警官に連行され、鉄北留置場で半月の迫害を受けた。2000年7月に再度北京に行って真相を伝えてから、秦皇島に行った時、悪らつな警官に連行され、八里堡留置場で半月迫害を受けた。2003年3月には家から南嶺派出所の悪らつな警官に連行され、長春市第三留置場に半月拘留された後、長春市黒嘴子労働教養所に送られ、1年の不法な労働再教育を受けた。決裂書を書かなかったため、当時の一大隊の大隊長ヤン立峰の部下数人に残酷にも仕事用の針で10本の指、腕などを刺されており、3カ月後は迫害されてリンパ癌に罹って、2006年8月30日に冤罪が晴れないまま亡くなった。
劉栓皁さん(50歳過ぎ)は河北省趙県範庄村に住んでいて、1996年に法輪功を修練してから心身とも健康になった。1999年邪党の人に捕まって趙県の党校で15日間強制的に拘禁洗脳され、2000年11月に連行されて範庄派出所で非人道的な苦難を受けた。おおみそかには不法な役人に石家荘に送られたが、検査した結果、糖尿病、心臓病を患っていたため、範庄派出所に戻されて不法に99日間拘禁された。その年の7月20日にまた捕まって石家荘で不法に15日間拘留された。2002年邪党の十六大会議の前また捕まって趙県で不法に21日間拘留された。この長期の圧力の下で、劉栓皀さんは2006年7月5日に冤罪が晴れないまま亡くなった。
陳永廷さん(73歳男性)は遼寧省葫芦島市に住んでいた。1995年に法輪功を修煉してから、長年の頑固な病気がいつのまにかなくなり、心身とも健康になった。1999年7.20から邪悪が法輪功に狂気じみた迫害をしてから、邪党役人は昼間と深夜をかまわず、いつも家に来て嫌がらせをし、保証を書くように脅し、連行するなどの迫害をした。彼の息子、息子の嫁、娘などは何度も連行、不法に拘留、不法な労働教養、強制洗脳され、しかたなく路頭に迷い、老人の心身は極めて大きく傷ついた。息子さんは労働再教育の期限になっても釈放されないので、老人を2回も労働教養所に行かせた不法役人を激しく非難し、法輪功の真相を伝えた。邪党役人が引き続き家に来て連行するとき、老人は道理を踏まえ厳しく邪悪の罪状を列挙し、大法を広めて、不法役人の返答を窮させた。法輪功を修練して、白髪が黒髪になって、元気だった老人は、長期にわたり邪悪に心身を苦しめられ、迫害され、2004年11月20日に冤罪が晴れないまま亡くなった。
周淑琴さん(70歳女性)は吉林省通化市に住んでいた。2000年に法を実証するため、広場に行って煉功をして、邪悪なやつらに不法に拘禁され、半月間迫害された。戻ってからは派出所悪徳警官がいつも家に来て嫌がらせをし、会社にいる邪党の人はいつも家にいわゆる「見舞い」に来て、子供達を職場から離すと脅した。邪悪の長期の迫害のもとで、持病が再発し、2003年4月に亡くなった。
山東省牟平区の何文訓さんは2003年に冤罪が晴れないまま亡くなった
何文訓さん(男性)は1940年に山東省牟平区高陵鎮の双山屯で生まれた。1998年の夏に法を得る前まで、深刻な気管支炎、ぜんそく、肺気腫、肺心症などの頑固な疾病を患っていて、毎日薬が離れられなく、有名な「薬土瓶」だったが、法を得てからまもなく病気が全快し、そして重い肉体労働ができるようになった。
1999年7月20日以降、何文訓さんは不法役人の恐喝、脅し、不法な家財差し押さえ、そして派出所に連行された。いわゆる「保証書」、「反省文」などを書くよう強制され、悪党の高圧な迫害のもとで、法の勉強も深くなかったため、不本意ながらそれを書いたことがある。2000年10月に北京に行って法を実証したため、邪悪なやつらに不法に県の留置場に1ヵ月間拘禁され、無理やり冷入浴をさせられ、強制労働教養をされた。老人の心身は極めて大きく傷つけられて、持病が再発し、また不法役人の騒乱、恐喝を受けて、心身は極めて大きく蹂躪を受けて、2003年1月8日に冤罪が晴れないまま亡くなった。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/3/136954.html)
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