■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/09/07/mh095724.html 



母親は死亡、父親は拘禁状態、重病を患っていた蘇偉くんが家で死亡

 【明慧ネット2006年9月7日】蘭州の法輪功学習者・蘇安洲さんの息子の蘇偉くんは、母親が亡くなり、その上父親まで拘禁状態であったため、重病を患っていながらも面倒をみてくれる人がおらず、2006年8月4日家の中で一人で悲惨な死を遂げた。26歳の若さだった。蘇偉くんが死に至る前に蘭州刑務所は蘇安洲さんは大法の修煉を放棄しなかったため、服役中の重病のための一時出所が許可されず、家に帰って命が危険な状態に陥った息子の世話を見ることができなかった。

 蘇偉くんは身長175cmでとても格好良い青年だった。彼は蘭州の法輪功学習者の蘇安洲さんと耿翠芳さん夫妻の唯一の息子だった。蘇安洲さんは蘭州鉄道局蘭西機関区で定年退職を迎えた元従業員で、耿翠芳さんは小規模の商いをやっていたが、商売は景気が良く、家族三人はとても幸せな生活を送っていた。しかし、蘇安洲さん夫妻が法輪功の修煉を始めたことにより、一家は中共の悪らつな警官の悲惨な迫害に遭い、肉親がばらばらになってしまった。

 2002年5月3日、耿翠芳さんは家の中で悪らつな警官らに取り囲まれた時、不幸にもビルから転落して死亡した。蘇安洲さんは2002年9月14日に不法に逮捕されて、2002年10月27日になんと10年という判決を下され、蘭州刑務所に拘禁されて迫害を受けている。当時家には22歳の蘇偉くんが一人残されていたが基本的な生活の保障が打ち切られ、栄養失調による肺結核を患ってしまった。

 2006年6月、回りに看病する人がいないため蘇偉くんの病状は悪化した。親戚や隣近所と地域の住民たちは自発的にお金を寄付して救助し、蘭州刑務所に連絡を入れて蘇安洲さんは保証人を立てて一時保釈をして命が危険な状態に陥った息子の看病ができることを期待していた。現在、蘇安洲さんは刑務所病院に入院しているが、彼の体の状況からは完全に重病のための服役中の一時出所が許されるものであるが、しかし蘇安洲さんが大法の修煉を放棄しないため、刑務所側は彼の要求を認めようともしない。7月26日、彼は何人かの警官に押さえられた状態で家に戻ってやっと息子に会うことができた。

 当時、蘇偉くんは、すでに全身がむくんでいて、顔も別人のように変わっていた。両足は腫れ上がって、ひどく腫れていたため傷口から粘液が流れ出ていた。歩くこともできず、家の中には悪臭が充満していた。蘇安洲さんは危篤になっている息子を見て、言葉を口にすることもできず、ただ手で息子の頭をなでることしかできなかった。蘇偉くんは警察に「お願いだから私の父を家に帰してください」と言った。その場に居合わせた住民たちは、涙を流さない人は誰一人としていなかった。しかし、蘇安洲さんは警官に連れて戻された。蘇偉くんは8月4日につい家で死亡した。

 より大勢の人々が法輪功学習者の迫害真相を知るようになり、中京の犯罪を暴露し、協力して一日も早く労動教養所、刑務所に不法に拘禁されている大法学習者に対する迫害を終わらせよう期待する。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/7/137289.html

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