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師父の天津での伝法

 文/清宇

 【明慧ネット2006年5月27日】1994年3月14日、師父は天津での二回目の伝法を八一礼堂でされました。私は師父の説法を生で聞き、師父の日常生活の中での一挙一動を見ることができました。

 当時は私の大法の理解は非常に浅く、半信半疑でした。

 ある日、師父が礼堂に向かわれる途中、弟子たちが押し寄せ、師父を取り囲みました。私が一度も見たことのない熱烈な光景でした。前のほうの人は師父に近づこうとし、後ろの人も前に押していました。師父の左右について離れない人や、師父になかなか会えず、師父の服を放さない人もいました。そのほかにも多くの人が熱烈な拍手で歓迎していました。

 一番印象深かったのは、師父がちょうど礼堂に入ってこられたときのことです。人ごみの中から突然ある人が師父に近寄り、いきなり師父の足元にひざまずき、何度も頭を地面に打ち付けました。涙がその人の頬を流れていました。後で知ったことですが、彼は癌にかかっていて、放送で師父が大法を伝法される番組を聞き、ためしに師父と通話してみると、たった数分間の談話で彼の痛みはすごくよくなったそうです。感激のあまり、彼は師父に感謝の意を示しに来ました。

 このようなことにあっても師父は依然としてただ微笑んで、彼を軽く起こし、礼堂の中に入っていかれました。終始平静で穏やかでした。すべての熱狂と歓迎が師父とはまったく関係ないかのように。師父はこの世の迷いの中におられないと感じました。

 これは私の心を震撼させ、私は師父が普通の人ではないことを感じました。いったい誰がこのような熱狂の中で終始平静を保ち続けていられるでしょうか。そしていったい誰が波瀾に驚かず、栄辱がまったくなく、淡白で余裕があるのでしょうか。それはまさしく悟りを開いた者の状態でした。悟りを開いた者だけが、このような些細なことの中でも他人と最も異なった振る舞いができるのです。

 伝法の最後の日、私たちは師父と別れるのをとてもつらく感じました。それはまるでもっとも親しい身内との別れのようでした。

 私は修煉を始めて12年になり、数え切れないほどの試練を経験してきました。もっともつらい日々でも、私の大法と師父を信じ尊敬する心は動じませんでした。私はよく師父の天津での日々を思い出します。師父の一挙一動は私を深く感動させ、励まし、あらゆる邪悪に打ち勝つ力を授けてくれました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/27/128955.html

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