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7歳の宝旭くんは母親を失った(写真) 【明慧ネット2006年9月4日】楊宝旭くん、今年7歳、頭がよくて可愛らしい男の子である。9月に新学期が始まってから、彼は小学校二年生になる。しかし始業日、母親はもう彼を学校に送り出すことができない。
宝旭君は3歳の時から母親と一緒に暮す日々は少なかった。離れ離れで不自由な生活ばかりだった。なぜなら、母親が法輪功を修煉しているというだけで、政府当局に度々不法に逮捕、拘禁されて、無理矢理に家を失わされた。宝旭君がいつも母親のことを懐かしんでいて、お母さん誕生日の日に彼が幼い字で自分の願いを書いて、祝福するプレゼントとして母親に贈った。「楊宝旭はお母さんと一緒に楽しく暮らす」
しかし、お母さんはこれからもう宝旭君の成長を見守ってあげられない。宝旭君から「お母さん」の呼び声も聞こえない。宝旭君の母親は2006年8月16日、瀋陽小北派出所(警察署)の警察に連行されて9日後に苛まされて亡くなった。 宝旭君の母親温英欣さん(34)は、瀋陽航天新光集団有限公司元経理で、1995年に瀋陽大学財政経済学部の経理学科卒業。温英欣さんは1997年から法輪功を修煉し始めた。それから彼女が健康な体を獲得したばかりではない。更に人柄も一層善良で私心のない人間になった。 1999年7月から、法輪功は中共悪党に不法に弾圧された。2002年6月に、温英欣さんは信仰を信じ続けたため、不法に瀋陽龍山教養所に拉致され、不法に労働教養を強いられた。当時、宝旭君が僅か3歳だった。 温英欣さんが不法監禁された間に、悪らつな警官に電気棒で電撃され、睡眠時間を奪い取られて、暴力で強制に食べ物を注げられて、酷く殴られて、薬物を注射されるなど様々な酷い処罰で苦しめられた。最後に大小便が失禁するほど苦しめられて、血便が出て、心臓、肝臓、脾臓を損傷されて、気息奄々までに至った。警察は責任を取るのを恐れて、家族を恐喝した後、2003年12月に温英欣さんを家族に押し付けた。家に戻った後、温英欣さんが法輪功を修煉し続けて、奇跡的に健康な体に回復した。 2004年5月、宝旭君のお父さんが長い時期の迫害による大変なストレスで、温英欣さんと離婚した。現地の町内と派出所が常に家を騒がせに来たので、温英欣さんは泊る場所が失われた。5歳の宝旭君がお父さんと一緒に暮している。 家を失った間に、温英欣さんが毎回お正月や祝祭日、宝旭君の誕生日になると、宝旭君のことを気に掛けていて、些細なプレゼントを買って、宝旭君を会いに行った。冬休みと夏休みの間も宝旭君を迎えに行ってきて、自分と一緒に少し暮らさせた。宝旭君がとっても聞き分けがよくて、お母さんに心配をかけたことがない。温英欣さんがいつも息子をじっと見て、満面の微笑みが満ちていた。あの時、宝旭君とお母さんが一緒に幸せな日々を送った。 2006年8月7日、温英欣さんが法輪功の真相資料を貼っただけで、瀋陽市大東区公安支局の小北派出所の警察に拉致された、9日間後(8月16日)、僅か7歳の息子の宝旭君を残して、温英欣さんの全身に傷跡が残ったまま亡くなった。 宝旭君の母親の温英欣さんがただ「真、善、忍」に基づいて、良い人間になり、真実を話したことで、なんと命を奪われた。これはどんな世の中だ! お母さんが去っていた。「宝旭がお母さんと一緒に楽しく成長する」とは、7歳男の子の永遠に実現できない願いになった。お母さんと一緒に暮した幸せな日々に戻ることがもうできない。母親の温もりを失った宝旭君がどんなに悲しいことだろう! 実は、とても一人の宝旭君に止まらない、このような子供が、中国にはまだ大勢いる。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/4/136985.html) |
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