日本明慧
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正法活動の中で絶えず自分を向上させる


 文/貞包久美子

 【明慧ネット2006年9月10日】私は2001年11月14日に法輪大法に出会い、5年近くになります。当時は、「気功」というものに漠然とした興味があったともいえますが、もともと重い持病があり、会社の昼休みには、よく机にうつ伏せで睡眠をとっていました。体がとてもきつかったのです。その姿を見ていた会社の同僚から、法輪大法を教えていただきました。しかし、動功は何とかできましたが、座禅ができず、単盤もやっとでした。数年かかって、両盤が何とかできましたが、1時間の壁は乗り越えられませんでした。また、本を読むのが苦手で、「法輪功」や「転法輪」を読んでも、なかなか「理」が分からず、自分の中に入ってきませんでした。法輪大法に出会って、師父に身辺を片付けていただいたと思うのですが、「自分が一番大事である」という執着心を捨てることができず、感情が加わり、法理からどんどん離れ、新たに、業力をふやしていました。たとえば、日曜日の朝の白川公園で集団煉功していたとき、たまたま通りすがりの年配の女性が近くにいた同修に話しかけて、法輪功についていろいろ説明を好意的に聞いていたのですが、私は煉功の邪魔になると考え、「皆さん集中しているので、ちょっと静かにしていただけませんか?」と伝えました。すると「すみませんでした」と小さな声で答え、その場をすぐに去って行かれました。今考えると、せっかく縁があって法輪大法に出会えたのに、私が追い返して機会をつぶしてしまったのです。何と愚かなことをしたのでしょう。

 また、常人の生活に埋もれており、目先の仕事や家庭の用事、常人との付き合いを優先して、時間があったら煉功する、また同修との学習会で師父の著書や説法を読むといった「自分の都合」を優先していましたので、同修から、「あなたにとって「法輪大法」は何番目に大事ですか?」ともよく尋ねられました。そのときは、一番大事なものではなかったのです。自己主張が強く、常に自分を重く見て守ろうとする心が働き、何か関が来たとき、乗り越えられない言い訳を考え、外に向かって原因を探し、周りのせいにしていました。顕示心・虚栄心さらに嫉妬心や負けず嫌いの心がひどかったと反省しています。 

 そのような中、同修の温かい励ましで、明慧ネットの翻訳チェックをすることになりました。迫害真実、体験談などの原作者の気持ちを反映し、日本人に分かるように翻訳者の文を何回も何回もチェックするので、かなり時間がかかりましたが、法輪大法の真相を紹介するのに参加できた喜びを体験することができ、遠くの同修と交流する機会も得られました。その後、チェックの力が認められ、緊急を要する文章の日本語チェックを幾度となく行う機会をいただき、一体感と達成感を経験することができました。いろいろ法を正す活動、たとえば、愛知万博の中国館が法輪功学習者の入館を拒否したので、それに対する抗議活動に参加したり、法輪功(気功)講座のチラシ配りをしたり、福岡ドンタクや名古屋のパレードへの参加、メディアへの真相説明、中国大使館前での抗議活動などにも参加しました。参加していくうちに、自分に向けて少しずつ反省できるようになりました。以前に比べると精神的にかなり落ち着けるようになり、体も元気になり、仕事も頑張れるようになりました。

 今年の3月13~17日の間には熊本で、「正法之路」写真・絵画展を開きました。開催前には、熊本市内をみんなで手分けして1軒1軒チラシを配りました。期間中には、会場となった熊本市民会館の近くで、チラシを配りました。もともと知らない人に直接チラシを渡すことは、苦手で、避けて通りたい活動でしたが、そのときは、「写真展を見に来てほしい」一念で手渡しました。最初から「要らない」という人もいて、がっかりもしましたが、受け取って目の前で捨てる人はおらず、やさしく受け取って中身を読んでくれる人もいました。中には、たまたま熊本に旅行で来ていて、チラシを受け取り、来た道を戻って、写真展を観覧してくれた方もいました。最初は、チラシを配るのに躊躇して、手渡すのに四苦八苦していたのが、「今、私の目の前に歩いてくる人たちは、たまたま偶然出会った人たちではなく、師父が按配してくれた人たちだから、私がチラシを渡すのを待っている」と気持ちを切り替えると自然に心が落ち着きだし、チラシを渡すことができました。数多くチラシを手渡したから、よくできたとは限らず、1人しか渡せなくても、その人に真実がわかり、済度することができれば、それは素晴らしいことであると同修が話してくれたことを思い出しました。 

 最近、「2006年2月ロサンゼルス市での説法」を読んで、具体的な師父のお言葉に強く戒められた思いです。「あなたが修煉者なので、あなたの生命の道は変えられ、あなたの修煉の道はもう一回按排し直されたものなので、この道に偶然なことはなく、この迷いの中、常人と同じ状態の中にいて、あなたがこの続々と現れてくる関を乗り越えられるかどうかを表すことができます。これはまさに修煉であり、正しい悟りなのです。」本当に師父の慈悲深いお言葉に、感動します。

 縁のある人に法輪大法を伝え、済度するために、自分は何ができるのだろうか?と考えます。大法弟子は皆すばらしく、その人なりに、それぞれ何かしらの能力が備わっています。その力を十分発揮し、一粒一粒となって全体を構成し、前進すれば、切り開かれない道はない、と最近強く確信しています。

 今まで、いろいろな活動に参加しようとすると、何らかの邪魔が妨害してくるのですが、「自分の面子が大事か、法輪大法が大事か」天秤にかけて、今は法輪大法が大事だといえるようになりました。自分の正念がしっかりして、この活動に参加して頑張りたいと念じれば、障害なく進み、結果もよかったということも多く経験できました。まだまだ完全ではなく、正念が足らず、感情に左右されて、邪魔されやすい状況を自ら招いたりするときもありますが、自分自身が大事ではなく、全体から見ることができるように、自分の行動がどのように影響していくかを落ち着いて考えられるように、修煉者として自覚し努力を積んでいこうと決意しました。

 今まで、法輪大法に申し訳ないことをしたことも多々ありましたが、私を見捨てず、温かく見守り、導いてくださった慈悲深い師父に心から感謝いたします。

 (2006年日本法輪大法体験交流会の発表)

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/9/10/137500.html