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心性は法を暗記する中で昇華する


 文/日本の大法弟子

 【明慧ネット2006年9月10日】

 尊敬なる師父、同修各位へ: 

 こんにちは、神聖なる法会の場を借り、皆様に私が法を暗記する体験を語ります。

 私は2005年11月末から「転法輪」を暗記し始めました。それ以前に私も一度は暗記しました。恐らく2004年の春でした。そのときに明慧ネットに掲載された法を暗記する文章に感動し、多くの同修は法を暗記し始めました。私もその流れに合流しましたが、1講しか暗記しなかったところ、そのまま放棄しました。2年が経ったいま、法を正すスピードがどんどん速まる中、やるべきことが益々増え、時間が迫ってくるのを強く感じます。そのときに、私は再度法を暗記することを思いつきました。もし、「転法輪」を全部暗記できれば、随時随所で法を暗記することができ、毎日2時間の学法の時間を節約でき、法を正す活動にまわせると考えました(当時、私は毎日早朝の4時50分から6時55分までの二時間で「転法輪」を朗読していました)。そして、私は学法の時間を法を暗記することに使いました。

 初日、少し常人の心が湧き、暗記は学法を影響するのではと心配していました。なぜならば、初回の暗記の際に、2時間で4ページしか覚えられなくて、二時間に2講も朗読すると比べ、効率がまったく違いました。ですので、心のどこかで微かな迷いがありました。考えた末、1時間に暗記、1時間に朗読することにしました。このような状態が2、3日続いた後、やはり全部暗記に切り替え、この常人心もこれで取り除かれました。

 第一遍目に「転法輪」を全部暗記するときに、数々の不思議なことを体験した。初日に暗記する際に、自分は一日に何ページを暗記できるのかと試したかったが、結果2時間で4ページしかできなかったのです。すると、私はこれから毎日4ページを暗記すると決めました。その一念があったせいか、結局、毎日どんなに時間を費やしても、4ページしか暗記できない。あるときに会社が大型連休を取るため、私はこの数日間どこにも行かず、毎日家で暗記すると決心し、毎日にどのぐらい暗記できるのか、試そうと思いました(明慧ネットではある同修が一日に1講の「転法輪」を暗記できると報道していました)。しかし、どんなにがんばっても覚えられなくて、結局4ページしか暗記できなかったのです。ある日、私は朝寝坊してしまい、目が覚めるときにすでに6時半前になっていました。慌てて歯を磨き、顔を洗い、「転法輪」を手にしたときにちょうど6時半で、発正念の時間までに25分間しかありません。急いで暗記し始め、とても順調で、4ページを暗記終わったときに、ちょうど発正念の時間になりました。これらの体験から、やはり私の毎日4ページを暗記するとの一念でことを決めてしまいました。

 暗記するときに、師父は絶えず私を助け、悟らせてくださいました。暗記し始めた頃に、真冬で日が昇るのが遅くて、しかも気温も比較的に低いです。ある日、目が覚めたら、5時前でした。周りが真っ黒で、人々はみんな熟睡している、温度計の表示はゼロ度、そのような状況の中で、自分の安逸する心が浮き上がり、もうすこし寝ようかなと思いました。そのときに耳元で人の声が聞こえてきた、「すすむ、すすむ、すすむ」と、女性の声でした。リズムよく、中国山東省の方言なまりでした。その後、安逸する念が生じるときに、必ず耳もとでこの声が聞こえてきます。この声が伴い中、私は初日から、一日も絶えることがなく、「転法輪」を一遍目に暗記完了するまで堅持しました。

 本来、半年間で第一遍目の暗記を完了すると計画していましたが、結果3ヶ月間で達成しました。半年の間に三遍も「転法輪」を全部暗記、第二遍目は2ヶ月間、第三遍目は1ヶ月間をかかりました。三遍も暗記した末、概ねに「転法輪」を全部暗記し通すことができました。

 暗記する前に私は朝方1時の発正念のときに、時々寝てしまい、発正念は出来ないときもあります。暗記し始めてから、毎日かならず発正念をしてから寝床に着き、朝方の5時前に起床、毎日の睡眠は4時間も満たないのに、昼間はまったく眠気を感じることなく、しかも体が非常に軽く感じます。そのため、私は無意識のうちに、自慢の心が生じました。第一遍目の暗記が終了しかけた頃に、私は米国のロサンゼルス法会に参加しました。師父は私を悟らせてくださいました。法会が始まる前に、1人の同修は私の隣に座り、「自分は修煉し始めてから、毎日の睡眠時間が3時間を超えたことがない」と漏らしました。その言葉を聞いたわたしは非常に恥ずかしく感じました。これは師父が私を悟らせていると思いました。

 以下、私の法を暗記する際に得た体験を皆さんに伝えます。

 法を暗記することは、自分を強制的に効率よく学法させる方法であり、学法の一種の方式でもあります。朗読に比べ、注意力がさらに集中し、学法の効果が一層アップします。我々修煉人は皆大法の特別な神聖さや、不思議さを信じています。どんなの心の状態で学法するのは特に重要であります。師父は「円満」との説法の中で、以下のように述べられました。「あなた達は学法する際に、思想の中で妄想が強く走り、法の中にいる無数の仏、道、神は、あなたのおかしくてかわいそうな思想を見ている。思想の業力が邪悪的にあなたをコントロールしているのに、あなたは執拗に迷い込み悟ろうとしないでいる。一部のスタッフは、長い間に本を読まなく、学法しないでいる。それではどうやって大法の仕事を成し遂げるのか。無意識のうちに、あなた達は数多くの挽回し難い損失をもたらしている。教訓としてあなた達は、もっと成長していかなくてはならない。邪悪な旧勢力に思想の隙を狙わせない、唯一の方法は学法に励むことである」。朗読に比べ、暗記の効果は抜群です。学法の際には妄想が走ることもできなくなった、そうしないと、暗記ができないからです。必ず一心不乱になって暗記しなくてはならないです。毎日朝、私が一心不乱に法を暗記するときに、静功を練るときのような「入定」状態を感じます。何もかも消え、自分の思惟が暗記している、全身全霊が法に溶け込み、体のミクロな世界から体の表層までにすべての命が暗記しているように感じています。そのときには思想の中で、まったく妄想することが考えられません。外来の妨害も入る余地が完全にないです。時には体全身が巨大な銀河系のように回転していると感じ、自分が静かに座っているのに、自動的な「機制」で回転している、暗記している、すべては自動的に行われていると感じます。私が感受したのは、暗記することも、「自動的な機制」を形成させています。

 ある日、私が発正念のときに、師父の正法の口決「法正乾坤、邪悪全滅」を念じるときに、突然に悟りました。私たちが法を暗記する際に、法に溶け込むときに、法が私たちの体内の不正な要素などを正したり、解体したりし、これらの淘汰されるべきものを駆除し出しているのではないでしょうか。心がより静かで、注意力がより集中しているときに、法の威力は一層強まり、修煉レベルの突破も益々早まります。発正念と同じであります。「法がすべての執着を消えさせる、法がすべての邪悪を消滅できる、法がすべての嘘を打ち破る、法が正念を強める」(師父の説法「妨害を排除する」)。私たちが真面目に学法すれば、法が如何なる事を成し遂げ、すべてが包容されます。しかも、「転法輪」を暗記していくうちに、法の内容量が益々厖大になり、一つ一つの文字の背後には無限大な内容が含まれ、法理の表れが益々多くなっていると感じました。第一遍目の暗記のときに、分厚い本で、一つ一つの字を覚えるのに非常に困難と思いました。第二遍目に暗記するときに、第一遍目のときより半分以上も簡単になったと感じました。第三遍目になると、第二遍目よりもさらに半分以上簡単になったと感じました。ですので、第一遍目に「転法輪」を暗記するときには、二時間で4ページ、第二遍目のときに8ページ、第三遍目のときに、12ページを暗記できました。この感覚は、常人の中での暗記と異なり、繰り返し暗記しているから暗記の速度が速まったではなく、その感覚ではないです。師父が「転法輪」の中で述べられたように、「すそ野を広げて考えれば、法はとてつもなく大きいのですが、頂点に立って説明すれば、法はピラミッドのような形をしているので、非常に簡単なものになります。最高の次元では三文字で概括できます。それが『真・善・忍』にほかなりません。しかし、各次元に現れてくると、極めて複雑になります」(「転法輪」13ページ)。

 法を暗記する過程は絶えず法に同化する過程であり、修煉のレベルも絶えずアップしているため、問題に対する見方も簡単になり、しかも半分の労力で倍の成果をあげられます。以前法をしなかったときに、私は仕事の合間の休憩時間を利用して、真相説明の封筒を書いていた、初めは10分間に4枚しか書けなかったが、いまでは同様な時間で8枚を書けます。例えば、勤務先では私は携帯電話の部品を検査する仕事をしています。1時間の仕事の量は約1千個あまりで、私にとって天文的な数字であります。私は工場で勤めたことがなく、経験がまったく無かったため、初めには私は毎日二時間も残業し、それでも一日に2千個あまりしかできない。当時では私はこの仕事を辞めることを考えました。しかし、居住地の周辺では仕事先があまりなくて、法を正すのに金がかかります。そのため、私は最大の努力で堅持しました。法を暗記し始めてから、不思議なことが現れました。仕事が突然に簡単かつリラックスしたように感じ、ほかの人がロボットのように一時間かけてようやく完成する仕事の量は、私は30分で完成し、しかも品質は前よりずっと良くなりました。私が簡単な方法を見つかったからです。当時では、私は疑問に思いました。「日本人はこの仕事を長年にやってきたのに、どうして簡単な方法があるのに使わないのですか。多分皆に仕事が行き渡せるために、そうしているのでしょうね。日本の制度は本当に優しい」という。後に彼らはこのように簡単な方法があること自体はまったく知らなかったことがわかりました。

 しかも法を暗記してから、本来どうしても取り除かれなかった執着心も知らずのうちに消えました。例えば、この「私」、我々は皆これは旧宇宙の属性と知っている、大法 弟子は、必ずこの『私』を消去してから新しい宇宙に入れます。法理について、だれもがわかっていますが、一旦問題に直面すると、その第一念は私的なものである、様々な方法を考えたが、取り除くことは出来なくて、非常に悩みました。そのあと、明慧ネットでの同修の文章の中で、「1つの思い、ひとつの念について、すべて法を用いて自分を要求する」と書いていました。私はこのように自分を律すると決め、到底この私を駆除することができるかどうか、試そうと思いました。しかし、それでもだめでした。ことに直面すると忘れてしまいます。後になって思い出し、いつも後悔していました。法を暗記し始めてから、思惟の方式が変り、いつの間にか何事の第一念は他人を気遣うようになりました。私がこのような本質的な変化は大法の威力であり、人間の方法で成し遂げられることではないと感受しています。以前では、頭の中にいつもたくさんの「どうして」が浮いています。どうしてこうなの、どうしてあんなの。どうしてこうなるのよと、多くのことを気に食わないと感じました。現せっかちで、気持ちが容易に人の言動と連動します。法を暗記しているうちに、執着心が絶えず減少し、心性も昇華し、心が徐々に静かになり、頭もどんどんはっきりするようになりました。以前では自分の頭になにか良くない念が生じるときに、自分だと見なし、ですから、なんとしても取り除くことができませんでした。なぜならば、自分だと勘違いしているからです。法を暗記してから、どれは自分、どれは自分ではないと明白分別することができるようになりました。あるときに、勤務先の責任者は訳も無く私を叱責しました。その場では、これは自分の心性をアップさせる機会であるとわかり、なにも言い返さなかったですが、帰宅のときに、集中して車を運転していたのに、頭の中に突然ある声が聞こえました。「彼女はいつも私のことを気に入らない、いつも私を困らせている、今度、このようなことがまた発生したら、絶対に彼女と口論する」などなど、この声のリズムが益々早くなり、最後ではまるでケンカになっていた。私がしばらくこの声を聞いていたが、突然にこれは闘争心が話していると気づきました。あれから、頭になにか良くない念が現れるときに、私はこれは自分でない、しかもどの執着心であるとも分別できます。そうすると、容易に抑制することができるようになりました。それに加え、真相を伝える効果もだいぶよくなりました。多くの方法は自然に頭に浮上してきます。以前のように、あれこれ考えて、多くの方法を練っても、実際には使えませんでした。「すべては法から由来している、真面目に学法さえすれば、真相を伝えることは順調に進めます。そうしないと、たくさんの人間の方法をもちいて、人間の心で大法のことをしようとしても、よくできるはずもないです」。それは私が深く感受した体験です。

 法を暗記する過程で、私は大きな教訓を得ました。第三遍目に「転法輪」を暗記した後、概ね「転法輪」を全部暗記できるようになりしまた。すこし歓喜心が生じ、同修と交流するときに、「私は『転法輪』を全部暗記するだけではなく、一つ一つの記号も、特定の言葉はどのページにあるのも、全部覚えていきます」と言いました。無意識のうちに自分を顕示していました。そのような心を持って、私が第四遍目に「転法輪」を暗記し始めた。(本来ならば、今回は一日の朝に、1講を暗記し、しかも以前のように本を見ながら暗記するのではなく、直接に暗記できるはずだが)。しかし、効果は非常によくないです。一日の朝の時間で、数ページしか暗記できなかったのです。しかもすぐに忘れてしまい、第一遍目の効果にも及ばないです。このような状況は2、3日も続き、私はおかしいと感じ、心を静め、内に向けて自分の問題点を探し始めました。結果、自分はこんなにもたくさんの執着心を有していることを発見しました。歓喜心や、顕示心、結果に執着する「有為の心」などなど、それではどうやって法を暗記できるのでしょうか。私は即座に座って発正念をし、心の状態を調整しました。それから通常に法を暗記できるようになりました。師父は「精進要旨」の「学法」の章で、以下のように述べられました。「法をよく学習しようと思うのならば、いかなる目的を抱かずに習うのが正しいのだ。「転法輪」を一遍読み終わる度に、一部の法理をわかったのであれば、それはレベルアップです。一遍読んだあと、例え1つの法理しか悟らなくても、それでもほんとうの意味でレベルアップしたことになる。実際には、あなたは修煉の過程において、徐々に、知らずのうちに上ってくるのだ。よく覚えてください。いかなる欲求を無くせば、自然に得られる」。あれから、私は師父の教えを強く心に刻み、不作為な心で、純正な心をもちいて、法を暗記しています。

 以上は、私が法を暗記することで得られた体験であります。実際には本当の感受について、語りつくせず、言語では表現できません。ここで伝えているのは、言語で表現できる部分のみです。とにかく、法を暗記することを通して、私の執着心が減少し、心性も昇華し、正念も堅くなりました。暗記すればするほど、体が益々軽やかになり、頭脳もどんどんはっきりなりました。暗記を進めていくうちに、法の大切さや、修煉の厳粛性に対する認識は絶えず深まり、自分の悟性の悪さを痛感しました。こんなに素晴らしい大法はどうしてもっと早くから暗記しなかったのかと後悔しています。とにかく、法を暗記することで、私は限りなく受益しました。

 最後に、私たちは共に、師父の「法に溶け込む」との説法の一部の内容を復習しましょう。「今、大法の学員は益々増えている。しかも後に来た人たちは、感性的な認識が優位に立っている。当時の社会にある左翼の思想による障碍がない。観念上の認識過程がない。集団で学法する際に、大量の時間を費やして、討論する必要がなくなった。そうすると、大量の時間を使って学法しなくてはならない、早急にレベルアップすべき。思想の中に法が多く貯蔵すればするほど、大きな変化をもたらせる」、「もっとはっきりと言うが、大法を読めば、あなたは必ず変る。大法を読めば、あなたは必ずレベルアップできる。大法が有する無限な内容に、補助手段である練功を加え、あなたたちは円満成就できる」。

 私たちは師父の教えを心に刻み、法をよく学習していきましょう。師父に感謝します。皆さんありがとうございます。

 (2006年日本法輪大法体験交流会での発表)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/10/137448.html