夫が迫害で冤罪を晴らせずに他界 妻も不法労教される
【明慧ネット2006年7月11日】私は吉林省乾安県の法輪功学習者です。友人の紹介で1997年に法を得ました。大法はすばらしいといって、本を貸してくれたのです。本を読んだあと、私は、本当に大法はすばらしいと思い、人生の真の意味が分かり、大法からたくさんの恩をもらいました。
1999年7.20以来、天が崩れたかのように中共は私たちに邪悪極まりない迫害、(逮捕、殴打、労教、不法判決)を始めました。私は大法がよいということを深く知っていて、「真、善、忍」を修めることに間違いはないと分かっていました。
2001年2月の早朝7時ごろ、乾安県第三派出所から杨修軍らが私の家を訪れ、派出所で集会があるから、それに出席するようにいって私をだましました。そこに行くともう2人の同修もだまされてきていました。朝食もまだでした。しばらくすると、私たちは車で財校まで送られました。そこについてやっと気づきました。そこは、乾安県610の高維光と公安局の張喜龙が組織する洗脳班だったのです。一度だまされて入ると二度と家に戻れません。二日目に副省知事の林彦志が来て、魔性丸出しで、発狂したように吼え、保証書を書かないと労教所に送るといいました。
2001年10月31日、私が真相の資料を配っていると、凶悪な警察の王暁東らに見つけられ、捕まえられました。公安は私を長春の「黒い口労教所」で一年間労教しました。そこの管理人は邪悪極まりなく、人前ではよいことをいい、裏で悪事をし、残酷無情でした。
大隊長の王立梅らの指示を受けて小班長が率いる中で、いろんな手を使って学習者を脅迫しました。保証書を書かないと睡眠を許さず、あらゆる自由がなく、強制的に労働させられ、一日に16,7時間に及びました。仕事がちゃんとできなかったり、指示に従わない者は電気ショックを受け、殴打は日常茶飯事でした。
悪党の我が家に対する迫害は、あまりにも深刻でした。私の夫はすでに迫害で亡くなり、私は記憶にたよって彼が迫害されたことを書き出すことしか出来ません。2001年12月、彼は北京に法を実証しにいき、1年間不法労教されました。九台労教所で拷問を受けつくし、深刻な肝炎を起こしました。凶悪な警察たちは責任を恐れ、半年後の2001年6月4日に病気の治療を理由に彼を家に送り返しました。凶悪な警察と医者もついてきて、彼はあと2,3カ月しか生きられないといいました。しかし彼は法を学び、煉功を続け、すぐによくなりました。
その後、公安局、政保課の赵彦海と袁野がよく我が家を訪れて荒らしました。2001年旧正月の前夜、第三派出所の凶悪な警察張喜龙らが我が家を泥棒や強盗みたいに激しく荒らしましたが、何も見つけられず、夫に大法の修煉をやめるとサインするよう言いました。夫は彼らのいうことを聞かず、連れ去られました。その後も夫は信念を曲げず、張喜龙は怒り狂い、魔性を爆発させ、飲んでいた水を夫の頭にかけました。2日目に公安局に送られ、袁野に顔面を殴られ、15日間拘留されました。
2002年3月、またもや凶悪な警察の一団が我が家を荒らし、小さい経文を見つけ、野蛮に夫を連れて行きました。拘留といいましたが、10数日後になぜか不法に労教2年を言い渡されました。当時労教を説明する書類も渡されず、彼らは本当に人間性がまったくありませんでした。そのとき私は労教されて家におらず、家には息子しかいませんでした。夫が連れ去られたとき家の人は誰も知らず、あとで知らされました。
九台労教所で彼は拷問を受けつくし、肝炎が再発し、半年後に治療目的で送り戻されました。その後もその地区担当の警官・海杰がよく家にきて荒らし、精神的に深い傷を負い、法を学び、煉功することもできず、自由を奪われ、病状もだんだん悪化し、2004年11月28日に冤罪を晴らせないままこの世を去りました。
世の人に、悪党が悪事をし尽くす本当の一面を知ってもらうために、私は悪党の悪事を天下に暴露しました。人々よ、目を覚ましてください!これ以上邪悪の手伝いをしないでください。天の理が許しません。善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあるでしょう。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/7/11/132718.html)
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