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人が亡くなる最後の瞬間に、刑務所は「死んでも釈放しない」と言っていた(写真)


 文/遼寧盤錦大法弟子

 【明慧ネット2006年9月17日】辛敏鐸さんが亡くなる最後の瞬間に、刑務所側は彼の家族に「死んでも釈放しない。誰を捜すこともできないし、国務院に行っても無駄だ」と言った。引き続き迫害の中、辛敏鐸さんは2006年9月1日の夜、錦州南山刑務所で虐殺された。年齢はまだ33歳だった。 

 
大法弟子・辛敏鐸さん

これは辛敏鐸さんが強制労働収容所から帰ってきて三日目に取たった写真である。 辛さんは家に帰ってきたばかりのとき、頭の後ろを壁にもたれながらなんとか立てるような情況だった。

辛敏鐸さんは遼河油田物理探測会社、測量支社の従業員である。業務、技術の骨幹で、会社と社会、家族と隣近所が認める孝行息子で、良い人だった。法輪功『真善忍』の修煉を堅持し、法輪功の真相を説明したため、1999年7月20日以降7年間、邪党江沢民政治ごろつき集団による残酷な迫害に遭った。

 2001年6月29日、辛敏鐸さんの勤務中の時、邪悪なものらは辛さんのオフィスに飛び込み不法に彼を連行した。しかも彼の買ってから半年も経ってない、17,000元以上のノートパソコンを略奪して行った。

 辛敏鐸さんは苦情を訴える場所がない情況下で、凡そ40日間断食で抗争した。人間性のない警官・陳長力は警官を含めた100名以上の人の前で、人間性をまったく失って、辛敏鐸さんを酷く殴った。辛敏鐸さんを殴ったり蹴ったりして地面に倒して転がせたばかりでなく、また彼の頭の毛をしっかりつかんでマイクロバスに命がけでぶつけた。辛敏鐸さんは殴られて、大小便が失禁した。殴打の後、また彼を小号(鉄の籠)に監禁した。鉄の籠に一週間余吊るし上げられたが、毎日トウモロコシの粉でできた蒸しパンを一つか二つしかもらえず、足と脚が腫れてかかとに見えなかった。

 悪辣な警官・唐小彪は電撃棒で長時間体の敏感部位を電撃した。毎回30分以上だった。捻り、摘み、蹴り、顔へつばを吐き、あざ笑い、侮り罵り、額に師父を罵り、大法を罵る紙を貼った。

 その後、警官は辛敏鐸さんの他の同修らに体罰を与えた。長時間に渡り動かずにビニルの腰掛に坐らせた。毎日18時間動いてはいけなかった。トイレにも行くことも許されず、長時間坐ることにより、お尻はぼろぼろになって、薄い血が流れ出した。迫害の中、辛敏鐸さんは寒さに当たって、小便が少し近くなった。トイレに行くために辛敏鐸さんは何回も殴打された。強制労働教養院で監視役の囚人は邪悪な警官は大法弟子を迫害する手先である。かれらは常に大法弟子を殴る。辛敏鐸さんも常に彼らに殴られて、全身が傷だらけになり、前身に電撃時焦げた傷跡があった。2006年9月1日に1人の若く、善良な生命は中共悪党の統治下で邪悪な警官に謀殺された。情報ソースによると、辛敏鐸さんの家族が彼の遺体を見たとき、彼は両目を大きく開けていて、極めて苦しい表情だった。辛敏鐸さんの家族は何回も彼の目を閉じようとしたができなかった。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/9/17/138010.html