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遼寧省、河北省、四川省で4名の大法弟子が迫害により死亡

 【明慧ネット2006年9月16日】

 丹東市化学繊維会社の科学技術協会の主席・鄭家堂さんは強制労働教養と掻き乱しにより死亡

 鄭家堂さん(男性、76歳)は、遼寧省丹東市化学繊維会社の科学技術協会の主席であり、副シニアエンジニアでもある。1994年に法輪功を修煉し始めた後、数年間患っていた心臓病、高血圧、動脈硬化症などの病気が奇跡的に治った。1999年7月20日前後、鄭家堂さんは北京へ陳情に行ったが、何の結果も得られず、丹東に戻った後不法に7日間拘留された。2002年2月に真相資料を回覧したため、不法に強制労働教養2年を課された。鄭家堂さんは強制労働教養所へ送られる途中、体の調子が悪くなり、家族の強烈な要求の下で、丹東市第一病院へ行き、検査した結果血圧が270に達していた。このような情況であっても、市の610オフィスはむりやり強制労働収容所へ送った。しかし強制労働収容所に入所を拒否されたが、市の610オフィスの頭目・高革強は強制労働収容所にむりやり鄭さんを入所させた。

 強制労働教養での数ヶ月間、鄭家堂さんの体の情況はますます悪化し、甚だしきに至っては自分で自分の面倒を見ることもできなくなった。鄭さんの家族はずっと釈放を求めていた。強制労働教養所は責任を負うことを恐れて、服役中に重病のための一時出所手続きをした。鄭家堂さんは自宅に戻った後、精神が恍惚とし、頭がはっきりしない状況だったが、公安は二日か、三日に一回、お正月や祝日に掻き乱しに訪れた。ひいては夜中に扉を突き破ったりした。隣近所の人達もその音で目覚めた。鄭家堂さんはこのような恐怖に満ちた生活の中で、2006年9月3日に冤罪が晴れないままこの世を去った。

 成都市国光電子管工場子弟学校の教師が冤罪がはれないままこの世をさった

 コン時珍さんは、1943年11月生まれである。退職の前は成都市国光電子管工場子弟学校の教師だった。1996年10月に大法と縁を結び、修煉を始めた。邪党により迫害が始まった後、2000年6月に北京へ陳情に行き、7月の初め成都市建設路派出所により成都市九如村留置場へ送られて不法に監禁された。監禁されている間、深刻な危篤状態に陥り、留置場は仕方なく早めに家に帰らせた。コン時珍さんは2000年11月11日に冤罪が晴れないままこの世をさった。年齢は57歳だった。

 河北省深澤県周計興さんは、冤罪が晴れないままこの世をさった

 周計興さん(男性、70歳)は、河北省深澤県趙八郷呂村の人である。家庭の条件が良くなく、数十年苦労した結果、気管支炎、脚が痛いなど多くの病気を患っていて、働くこともできなくなっていた。1996年の冬、人に紹介されて大法を得た。数ヶ月間煉功すると、体はすべて正常になった。毎日煉功、学法を堅持したため、体はますますよくなり、前にずっとやっていた理髪の仕事をやり始めるようになった。1999年に大法が迫害されてから、毎日学法と煉功、真相説明を堅持し、真相ビラをどこかへ行くとその場所に撒いた。2004年に無極県東漢市場で人に真相を説明したとき、告発されて、七極郷派出所の警官に身体検査され、脅かされた。その時から、老人の体はずっと良くない状態に陥り、だんだん虚弱になり、2005年の冬にこの世を去った。

 廊坊市馬振廷さんは2003年に610オフィスにより洗脳班で迫害され、死亡した

 河北省楼防市3532工場の大法弟子・馬振廷さんは何度も残酷な迫害に遭い、2003年7月10日この世を去った。年齢は53歳だった。馬さんの一家3人は「真、善、忍」を信仰し、良い人を修めたため、江沢民氏のごろつき集団に迫害されて家も家族もなくなった。

 馬振廷さん(男性)は、以前河北省廊坊市3532工場で働いていた。1999年7月20日に江沢民氏ごろつき集団が、気が狂ったように大法に対する迫害を始めた後、馬振廷さんは大法の修煉を堅持していた。1999年10月に北京へ行った。当時全国各地より多くの大法弟子が次から次へと北京へ陳情に訪れた。しかし民衆の陳情を受け入れるべき、陳情オフィスは対応しないばかりか、入口の札さえも取っていた。その後どこへ引っ越したかは知らない。

 馬振廷さん一家は、陳情オフィスが見つけられなかった。10月20日に不法メンバーらに当地の留置場へ連行されて行き、不法に一ヶ月間拘禁され、4000元(2000元は領収書あり、2000元は領収書なし)の罰金を揺すられた。妻の李鳳英さんは不法に強制労働教養3年を言い渡され、1999年11月26日に唐山開平強制労働収容所へ送られて、様々な残酷な迫害に遭った。

 2001年末、馬振廷さんは610オフィスのテロリストらにより洗脳班へ連行されて行かれ、精神的な迫害を受けた。強制的に洗脳された後、精神的に非常に苦しくなった。家に帰ってから、工場の防衛科、作業現場の刑憲恩などは常に馬さんの家に電話をかけて掻き乱した。馬さんは精神的な圧力がとても大きく、それから次第に体は毎日毎日やつれていった。

 馬振廷さん一家3人は何度も不法に留置場に監禁され、公安局、工場の悪党メンバーらに何度も揺すられた。夫が強制労働収容所へ妻の見舞いに行くことさえも、工場の不法メンバーらは強制的に1000元を徴収した。さもないと見舞いを許可しなかった。残っていた僅かな貯金は揺すられてすべてなくなり、病院へ送る金もなくなった。

 馬振廷さんは、2003年7月10日に冤罪が晴れないままこの世を去った。馬さんの妻は憤慨して「洗脳班へ連行されていかれる前に体重が80キロで、誰もが体が丈夫と知っていた。まさに江沢民が私の夫を殺したのだ!」と言っている。 

 責任会社と悪人:

 市610オフィスの主任:韓志光、趙麗華

 廊坊市大法弟子を迫害した、責任を負うべき責任者:

 市委員会副書記(警察・検察・裁判所を主管):王会平

 市公安局一処処長:楊華、田広清
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/16/137936.html