■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/09/17/mh190982.html 



広州の大法弟子・饒卓元さんと遺児の饒徳如ちゃんの状況(写真)

 【明慧ネット2006年6月15日】広州市の大法弟子・饒卓元さんと妻の林倩さんは二人とも医療にたずさわっていました。饒さんは広州市衛生防疫局の優秀な食品監督員で、林倩さんは広東省口腔病院で働いていました。1994年12月から一家揃って法輪功を修煉し始めました。

 
饒徳如ちゃんと両親
3歳の饒徳如ちゃんと父親

江沢民集団の法輪功に対する残酷な迫害以来、饒卓元さんの両親は非法に家宅捜策され、彼自身も数回不法に捕えられ、労働教養を科され、精神病院に入れられたことがありました。彼は2002年8月5日、迫害の末、死亡しました。34歳でした。彼の娘、饒徳如ちゃんはまだ4歳半でした。彼の兄、饒超元さん(42歳)は、2000年12月に不法に捕えられ、秘密裏に判決を下され、今も不法に敢闘賞四会監獄に拘禁されています。彼の片足はすでに迫害されて障害があります。以下は、饒卓元さんと遺児饒徳如ちゃんの状況です。

 
饒徳如ちゃんの両親の結婚記念写真

饒徳如ちゃんは今年で8歳になります。彼女が1歳あまりの時に、父、饒卓元さんは北京に陳情に行き、不法に逮捕され、拘留されました。彼女が2歳のときには父親は精神病院に入れられ、3歳過ぎになった時、洗脳班に移されました。彼女の祖母は精神的に衝撃を受け、精神病が再発しました。彼女の母親が広東省の「610」と交渉してやっと父親が戻ってきました。父親は虎口を逃れて僅か一日で、「610」は再び不法に捕らえようとしました。父親は涙を浮かべながら若い妻と2歳あまりの娘と別れ、家を出て一カ月余り流浪した末、ある資料製作所で捕えられ、労働教養所に送られました。彼は自分の信仰を貫き、転向しなかったため、教養所の凶悪な警官に殴打され、バスケットボールのバーに毎日15、6時間縛られ、厳しい天候にさらされました。体重が35kgになるまで迫害されてやっと家に戻されました。彼が家で養生していた時も、海珠区の「610」は荒れ狂ったように、口を塞ぐため彼の妻を洗脳班に入れました。5カ月後、妻がまだ不法に迫害されていた時に、やっと体が回復し始めた夫もまた捕えられ、12日後に迫害で第5頸椎を複雑骨折し、一カ月後に冤罪を晴らせずにこの世を去りました。母親は親孝行な息子をなくし、妻は思いやりのある夫をなくし、娘は愛する父親をなくしました。家族も冤罪を晴らす方法がないことを知り、苦痛のあまり生きる希望を失くし、眠れない夜が続きました。彼の母親はたびたび部屋の中で一人で泣いていました。まだ若かった母親は、一気に十数年も年をとりました。幼い徳如ちゃんも父親を失った痛みに耐えられず、突然おねしょの症状が現れました。彼女の顔からはそれまでの無邪気で活発な笑顔は消え、怒りやすく、自信を失くしてしまいました。これは江沢民集団統治下での、国家テロリズムの犯罪行為の一つの証拠となります。

 
饒卓元さんが亡くなる前、広州花都市人民病院にて

幼い徳如ちゃんは以前、両親が同時に拘留されていたことがあり、母親と洗脳班に父親に会いに行った時、鉄の門にしがみついて離れようとせず、悪人に父を家に返してと泣き叫びました。

 彼女は病院で父親と永遠の別れを経験しました。彼女はとてもききわけがよく、来る日も来る日も母親と真相資料を配り、真相を伝えに出かけていました。

 2004年、『共産党についての九つの論評』が世に出て、彼女は自ら少先隊をやめ、同級生から孤立し、差別を受けました。父親が迫害で死亡し、家には七十を過ぎた自分自身のことが出来ない祖母もいて、彼女の母親はこの重圧に耐えながら、深い悲しみを無理に我慢し、一人で家族を支えました。力いっぱい努力して、家庭の正常な生活を確保しました。法輪大法の修煉と威力が彼女の唯一の支えになりました。

 中共「610」の邪悪の輩は、憐憫の情もなく、逆に家宅捜策と脅迫を繰り返しました。精神面でも圧力をかけ続けました。彼女の父親が迫害を受けた詳細が2005年2月に明慧ネットで暴露され、2005年4月から広州市海珠区の「610」が彼女の母親を捕えて口封じをしようとしました。母親と娘の二人は国内で居場所を失い、中国を逃れてタイに来ました。今のところ彼女ら二人は孤独で苦しい中、「国連難民局」またはほかの政府機構の助けを必要としています。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/15/130479.html

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