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遼寧省の三つの労働教養所での不法に拘禁された経歴

 【明慧ネット2006年9月12日】私は3人の法輪功学習者と一緒に2000年10月23日、北京へ陳情に行った。ちょうど金曜日の午後で勤務がないので、私達は小さい旅館を探して泊まり、翌日行くことにした。夜10時、私達は旅館で不法に連行され、北京に駐在する瀋陽の事務所へ送られ、手元のお金も差し押さえられた。彼らが登録する時、ある同修は外に逃げようとして、馮という警官と首の太い警官、痩せている警官の3人が階段を降り、同修をつかんで上がり、地面に押し付けて狂ったように乱暴にたたき、鼻は打たれて出血し、服も打ち破られた。

 私は北京から連行されて帰り、竜山洗脳班に監禁され(竜山教養所の前身)、寧夏人の馬波という学習者と工業大学の法輪功学習者とともに不法に監禁された。学習者たちが不法な監禁に抗議したら、馮という警官に湯をかけられ、ひどい火傷をした。

 邪党役人らは竜山洗脳班を労働教養所に変え、不法に女性の学習者を監禁し、男性の学習者は瀋新教養所へ連行された。私達がちょうど瀋新教養所に入った時、瀋陽鉄道の保線区の労働者の王同修に会った。彼は30歳ぐらいで悪らつな警官に東の壁の上に吊るされ、足がくっつかないでとても苦痛な様子であった。

 その後、王同修はただ学法、煉功をしただけで悪らつな警官に苦しめられたと聞いた。それから私は不法に張士教養所に監禁された。そこでは、最高60数人もの新収隊を板の寝台の上に寝かせ、夜トイレに行くと寝る場所がなくなってしまった。毎日夜10時まで働かなければならず、量が多い時は夜明けまで働き、朝は5時に起きた。

 ある日、馮という警官は(身長170cm、皮膚は白くて非常に太い、)「私に不満を持つ人は返事せよ」と質問し、即座に鍵の束を私の頭にぶつけたため、私は頭がくらくらした。この警官はいつも受刑者に服を洗わせ、靴を磨かせ、ある時は家族の洗濯物をも持ってきて、洗ってからお湯の入った弁当箱をアイロンにして私にたたませた。

 張士教養所の所謂「教育を手伝う団」は一晩中法輪功学習者を寝させず、交替で一人一人に信仰を放棄するよう強制した。自分は学法も深くなければ、法の原理もはっきりせず、正念も強くないため、邪悪なユダ達の甘い言葉を信じて回り道をした。そして師父と法を誹謗する「三書、五敢」を書き、修煉者が決してしてはいけない事をしてしまい、師父の慈悲の済度に会わせる顔がない。ここで師父に謝罪し、すべての師父と大法に不利な言論を無効にして(厳正声明を発表した)、修煉の機縁を大切にしながら最後の道を歩いて行きたい。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/9/12/137623.html