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重慶の張傑平さんが迫害より死亡した情況の補充

 【明慧ネット2006年9月27日】重慶の法輪功学習者の張傑平さん(56歳)は、重慶双碑嘉陵工場堆金村に住んでいた。2006年9月5日の明け方6時過ぎ、張傑平さんは重慶市沙坪埧区鶴林留置場の迫害を受けて極度の苦痛のなか冤罪が晴れないままこの世を去った。 

 張傑平さんは沙区白鶴林留置場に不法に4カ月半拘禁された。その後の2006年8月29日彼は迫害されて命が危険な状態になり、留置場から沙区第一人民病院に搬送された。当時、張さんはすでに四肢が完全に機能を喪失しており、声を出すことができず、顔色が青白くなっていた。高熱を出していて全身不随で人相は完全に変りはてていた。にもかかわらず、悪警らは彼の両足をベッドに人の字形に縛り付けた。張さんは不法逮捕されて留置場に拘禁された時、体重が70キロ以上あったが、迫害を受けた後は35キロにまで激減し、骨格しか残っていなかった。 

 張さんが入院して3日間、病院側は2日間連続家族に危篤の知らせを出した。7日目、張さんは苦痛の中で息をひきとった。70歳を越えている張さんの母親は生きる希望をなくし、泣き叫びながら息子を迫害した王鍵、鄧斌、趙家祥、謝剛などに息子を返してくれと問い詰めた。

 張さんは嘉陵工場を定年退職した社員ですが、2006年4月15日遠珠橋で真相を伝えているとき、私服の警官鄧斌らに不法逮捕されたが、家族は彼の行方を知らなかった。張さんが行方不明になって8日目に警察は張さんの自宅を不法に家宅捜査し、捜査令状を提示することもなく、11時過ぎまで掻き乱してから帰って行った。その後1時間も経っていないうちにまた部屋に乱入して家宅捜査したが、同様に捜査令状はなかった。ただ1枚の拘留証明書を取り出して家族に署名を強要した。家族は張さんが法を犯していないとして、署名をしなかった。するとこれらの悪警官らは自分たちで違法に拘留証明書に張さんの家族の名前を記入した。 

 張さんは悪警官らに不法に留置場に閉じ込められた後、電話をかけることも許されず、家族の面会も許されなかった。家族はしかたなく、ただお金を留置場に振り込むことしかできなかった。張さんは4カ月以上にわたって拘禁され、8月29日息子が父親に買い物をして上げるために留置場に行って見て、はじめて父親の張さんの命が危険な状態に陥っていることを発見した。それで留置場はやっと張さんを病院に搬送した。しかし、すでに手遅れだった。白鶴林の留置場は明らかに故意に張さんを死に追いやった。 

 病院の診断によると、張さんは留置場で2カ月にわたり、言葉を口にすることができず、手足がだるく、咳が酷く、咳をするとき痰によって胸が苦しくなってすでに1カ月以上経っていたという。ごく短い2カ月の間、健康で一度も病気をしたこともない、医者に診てもらったこともない張傑平さんに①周囲性呼吸、循環衰弱、②呼吸筋肉麻痺、③グリーン巴利症候群、④右下細菌性肺炎、⑤低ナトリウム血病気、⑥多発性末梢神経病変、⑦植物神経機能損害、などの7種類の奇怪な病気が一気に現れた。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/27/138735.html