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恩師の洪法中に受けた感動的な出来事を振り返って

 文/青島地域大法弟子 王真

 【明慧ネット2006年5月29日】私は好運にも師父の講座に三回参加し、説法を聞く事が出来た。その過程を振り返ると、師父の声や笑顔、感動的な事がありありと目の前に浮んで来る。十数年間、幸せな思い出と忘れ得ぬ師恩に励まされ、修煉の道で絶えず精進する事が出来た。現在文章に書き出して同修と分かち合いたいと思う。

 第一回目は、1993年6月25日、長春で法に出会った。長春に到着後、師父が省委員会の講堂で第五回目の講習会を開かれると聞いたが、切符は売り切れてしまっていた。又、師父が吉林大学で説法される事を知り、同修と一緒に参加した。聞けば聞くほど、師父は偉大であり、法は立派だった。私は一緒に行った人に、「今回の法輪功講習会には如何にしても参加したい」と言うと、その人は、「切符が買えないよ」と言った。私は「大丈夫、頑張る」と答えた。

 師父の説法が終了後、私は師父が裏の休憩室に行かれるのを確認した。当時何処からそんな力が出たかも分からず、演壇の上に飛び上がり、まっすぐ休憩室に向かった。休憩室で、師父は笑顔でまるで私が来る事を予測されていたかのようであった。私は大声で、「先生、私は青島から来た者です。×××の講座の参加予定を止めて、先生の学習会に参加したいのですが、切符が買えません」と言うと、師父は笑顔で「心配しないで下さい。係員に頼んで置きます」と言われた。

 私が休憩室から出て行くや否や、ある人が笑顔で私に向かって来た。私は、「切符を買いたいのですが」と言うと、彼女は、「ちょうど私がもう一枚持っていますので一枚差し上げます」と言った。当時私は、あの女性はどうやって私が切符を買いたがっている事を知ったのだろう? どうして私があの女性に切符を買いたいと言い出したのだろう? その瞬間、ひと筋の熱い流れが私の全身を通過した。ほんとうに不思議だった。

 学習会は全国各地からの学習者で一杯であった。師父は、「係員たちにお知らせします。全国各地からの学習者に対し、自分の家族のように配慮して下さい。困ったことがあれば直ちに解決してあげなさい」と言われた。どれほど偉大で、慈悲深い師父だろう、私は心から温もりを感じた。

 学習会で、師父の説法を聞けば聞くほど、師父と法は立派だと感じた。私は永遠に法輪大法を修煉し続けたいと思い、弟子入りをさせてもらおうと思った。当日私は、チャンスをつかんで師父に弟子入りのことをお願いしようと思ったがチャンスはなかった。最後の日、私は一緒に行った二人に、「今夜は、必ず師父にお願いして弟子入りをさせてもらいたい、さもなければ今後、再びチャンスはないよ」と言った。我ら三人は講堂の外で師父を待ち始めた。師父が出て来られた。周りには沢山の学習者が同行していた。我々もその後ろについた。勝利公園裏門の東西大通りに来た時、私は拝師の事をすっかり忘れていた。師父は、「帰ったら他の人に法輪功を教えてあげなさい。誰に教えても構いません」と言われた。 師父は又私に心性を高めなさいと教えてくださった。師父の指導を聞いているうちに、ひと筋の熱い流れが私の全身を通過し、一層暖かさと幸せを感じた。

 第二回目に師父の説法を聞いたのは1994年正月2日、山東省墾利県の宿泊所の講堂での学習会であった。師父は一階に、学習者たちは三階に泊まった。当時、年を越したばかりだったので比較的寒かった。講堂の施設も粗末で、我々は厚い綿入れの上着を着ても寒く感じたが、師父は黒の皮ジャンパーで中に色の褪せた古い青色のセーターを着ておられた。講義の途中、一人の女性が師父の説法が理解出来ず、師父に失礼な言葉を言いながら外に出て行こうとした。私は一緒に行った人に、「ほら、あの人は、絶対に出て行かないよ。こんなに素晴しい法なんだから、彼女は絶対に出て行かない」と言った。思っていた通り、その女性は、帰らず後ろに座わり、そのまま最後まで聞き終えた。講義が始まったばかりの時は、講堂の席は3分の2が空いていたが、段々人が増えて廊下まで一杯になった。

 師父は学習会に参加した学習者のことをとても大切にされた。身体を浄化する時、耐えられるかと心配され、ぜひ最後まで続けるようにと教えられた。その数日間トイレはいつも満員だった。ほぼ全ての人が下痢など身体を浄化する時の反応があった。私は動功後、足の裏から泡と一緒に汚い液体が出た。

 ある休憩時間、私は運がよく師父の傍に座る事が出来た。私は興奮して子供のように師父に言った、「先生、私は今先生をはっきり見ることが出来ました。以前、先生が演壇におられる時は遠くではっきり見えませんでした」と言うと、師父は「そうですか、ゆっくり見てください」と優しく答えられた。師父は親切で、親しみ易く、尊大なところはなかった。顔は赤くつやつやし、皮膚は柔らかくつるつるしていて、全身から特別ななんとも表現出来ない息吹きが感じられ、本当に英俊な方であった。私は師父に、「長春から帰って来てから、毎日先生のことを思い出しています。先生は毎日私と1メートル離れた所で私を見ておられますね」。師父は「実は毎日あなだの傍にいるのです」と言われた。

 ある日学習会の係員が三階まで来て「もうすぐ師父が来られます」と私たちに伝えてくれた。瞬間三階の学習者は歓声をあげた。その時、偉大な恩師が訪れ、皆が拍手で歓迎した。その時の気持ち、喜びは言葉では表現出来なかった。師父が座られた後、皆は師父に体験を報告したり、師父と記念撮影をしたりした。写真を撮っている途中で、突然同修が「シャッターが壊れました。いくら強く押してもききません」と言うと、師父は「誰かが私の頭を押しています」と軽い声で言われた。実はある同修が夢中で師父の頭上に手を載せていたのだった。その学習者が慌てて手を除き、カメラは又正常に撮影し始めた。

 毎回の学習会が終了した時、全国各地の学習者たちはいつも師父と記念撮影をしようとして、いつもこんな事がよく起きた。ある地域の学習者が、皆揃う前に師父を呼び、他の地域の学習者が全員揃っていない様子を見て、又師父を自分の地域の学習者たちの撮影にお連れして行った。その結果、師父はいつも揃っていない学習者を待たれることになった。当時私は、学習者たちのその失礼な行為を悲しく思った。しかし師父はいつも笑顔で学習者を待ち、自分の子供のように大事に加護して下さった。その時、私は崇高な敬意を持って師父の前に行き、師父に「私、小さなお願いがあります」と言うと、師父は「言って下さい」と言われた。私は「先生、学習会のスケジュールが過密過ぎています。大変でしょう。学習会と学習会の間隔が二日しかなく、休憩時間を少し延ばしましょう」と言った。当時、墾利での学習会が未だ終了していなかったのに、又他の地域(地名は覚えていない)で又師父を呼びに来た。その時師父はすぐ私の手を握り「大丈夫ですよ、心配しないで下さい」と言われた。私も師父の手を強く握った。その瞬間ひと筋の熱い流れが私の全身を通過し、本当に幸せを感じた。常人は永遠にこのような幸せを味わうことは出来ないと思った。十数年間この十三文字がいつも私の耳の周りでこだまし、いつも修煉中の私を励ました。

 第三回目は1994年6月25日、済南皇亭体育館で行われた4千人あまり参加した学習会であった。当時とても暑く、皆が扇であおいでいた。師父は、「皆さんあおぐのを止めたほうがよいのではないでしょうか。これは悟性の問題です」と言われた。あおぐのを止めるや否や、冷たい風がどんどん吹いて来て、全身が吹かれているような感じがした。しかし偉大な恩師はそんな暑さの中で、皆に説法をされたが、お水を一回も飲まれず、学習者たちの事だけを念頭にして、弟子たちのため、無数の苦を嘗められた。慈悲深く偉大な恩師と一緒にいた時の幸せな瞬間は、永遠に忘れられないものである。

 もう一件の大法の中で起きた奇跡を同修と分かち合いたい。1999年7.20大悪魔が理性を失い、邪悪な迫害をし始め、大勢の悪警官が出動して法輪功学習者を不法に逮捕し始めた。大法の書物が強制的に集められた。残酷な迫害により、会社の人や住民委員会の人たちが絶えず私の家に来ては大法の書物を納めるよう強要した。テレビ、新聞などの邪悪な宣伝により、私の妻は怖がり始め、どうしても大法の書物を納めさせようとした。私が納めようとしなかったので毎日私に強要した。(妻は以前、大法に対して行った悪い行為を大変後悔し、現在は大法に戻り、大法の為にやるべき事をしている)。三日後、私は納得できないままに本を納め、心から怖がり始めた。しかし『転法輪』——天に昇る梯子——だけは如何しても保ちたく、大法を絶対放棄しないと決心した。

 私は彼等が注意していないうちに『転法輪』一冊を懐に隠した。ビニールで次々と8、9層包み、使用しない部屋の中の木の削り屑の堆積の下に隠した。そして洪水が発生しても濡れる心配はないだろうと確信した。その後本当に洪水が発生し、庭の水は腰を浸す深さになり、部屋の中にも水が80cmの深さまで来た。木の削り屑の堆積も上の部分を除いて全部浸水してしまった。

 洪水が退いた後、『転法輪』が気になり、他の所に隠そうと思った。堆積の上から中へ手を入れた時、硬い物に当たった。 取り出して木の削り屑を除いて見ると中は『転法輪』で、少しも濡れていなかった。

 どうしたの? 隠す時、確かに堆積の一番下に置いたのに、自分で上の方に移動したのかな? 当時は悟りが鈍く、不思議に思っただけだった。現在考えると、師父が私を見守ってくださっていたのだ。師父は私を諦められなかった。当時の私は感動して泣いたり笑ったりしながら、心は師父への感激で一杯になった。その後、師父の加護の下で私は再び大法の書類全てを揃えた。

 最後に言いたいのは、師父の学習会に三回参加して合計90元を支払った。それ以前、他の気功講座に参加した時は一回で入場券が120元だった。しかし中共のチンピラ頭目は師父が「学習会を開いて私腹を肥やした」とデマを飛ばした。本当に邪悪な中共である。

 壮大な師恩に感謝し、慈悲で衆生を済度する宇宙の大法に感謝し、世間で迷いの中で無数の業力を作り、常に淘汰の危機にある私を、返本帰真して新宇宙の生命になれるようして下さったことに感謝している。私は千古の縁を大事にして、恩師の後について、円満成就して家に帰る事を誓う。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/29/128941.html

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