■日本明慧 http://jp.minghui.org/2006/09/30/mh015775.html 



機械と動物は人間と同じレベルで扱うべきではない

 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年9月30日】皆さんこんにちは、ここで皆さんと交流したい話題が一つある。最近、少なからず明慧ネットの文章を読む際、一部の同修は自分のプリンタ、オーディオなどの電子製品に法を聞かせ、彼らを正常に働かせようとしている。また、一部の同修は、これらの機械を「同修」とも呼んでいる。私はこのようなやり方は良くないと思う。

 皆さんも知っているように、動物は法を聞いてはならない存在である。私達の使っている電子製品は、動物よりも次元の低い存在である。積極的にこれらの電子製品に法を聞かせるのは妥当ではない。これらの電子製品は、私達を助けているのであり、私達がたくさんの真相資料を作るのに大変役立ったが、これは進んで機械たちに法を聞かせる理由にはならないはずである。例にしてみれば、もし一羽のオウムが、私達にプリンタに紙を入れたり裏返すなどと注意づけていたとしたら、私達はこのオウムに法を聞かせるのだろうか。もちろん、私達が法を聞いているときに、部屋中のすべての物(電子製品も含めて)法を聞いているのだ。しかし、これは意識的にやっているのではなく、常人社会の状態に符号しているのである。もし、法を学ぶ時に、特定のある製品をいつも身の回りに置いていたとしたら、それは適切ではないと思う。

 一部の同修は、設備を同修と呼ぶことについて、なおさら良くないことである。これらの機械製品について、私達は大切に扱うべきである。しかし、これらの機械製品を同修と呼ぶことは、これらを大法弟子とみなすことである。しかし、実際に大法弟子であるかどうかは、師父が決めることである。師父はこれらの機械を大法弟子と認めることができるのだろうか。常人の抱く「慈悲」にかられて口を修めないようなことは、してはならないのだ。

 以上は個人の考えにすぎず、妥当でない部分はご指摘をお願します。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/30/138898.html

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