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錦州市義県の肖鵬さんが迫害により死に至った詳細情況(写真)

 
大法弟子肖鵬の遺影

【明慧ネット2006年9月29日】遼寧省錦州市義県の大法弟子肖鵬さんは、錦州市労働教養所で1年半に渡って精神状態がおかしくなるまで残酷な迫害を受けつくして家に帰ってきたが、2002年旧暦の4月29日、極度の苦痛の中でわずか30歳の若さでこの世を去った。奥さんは再婚を強いられ、一人娘の肖似玉ちゃんはしかたなく祖父母と一緒に生活している。

 肖鵬さん一家は「憲法」が国民に与えた合法的な権利にしたがって、法輪大法の平和的な陳情のために北京へ行った。数年の間でこの家族は中共悪党の悪辣な迫害を受けて命を落とし、生き別れるなどの悲惨な境地に陥れられた。この家族は瀋陽、錦州と葫芦島といった三つの都市の労働教養所で残酷な迫害を受け尽くした。

 
肖鵬さんの10歳の遺児肖似玉ちゃんが祖父母と一緒に生活している

肖鵬さん(男性、1972年生まれ)は、遼寧錦州市義県九道峰鎮の住民で義県農業専門学校を卒業して、獣医として勤めていた。修煉をする以前彼は体側軟骨炎を患っていて、その痛みといったら耐え難いもので、あちこちへ医者を探し求めた。幾つかの気功も習っていたが効果がなかった。1995年の春、彼は法輪功修煉を始めた。それから2カ月後、彼の体側軟骨炎は知らないうちに自然となくなった。

 同時に肖鵬さんは法輪大法の「真善忍」に基づいて自分を厳しく律することによって、道徳が昇華し、善の心を持って人を思いやるようになった。彼のご両親と妻、娘、他にも3人の妹と二人の義理の弟たちも次々と大法修煉を始めた。肖鵬さんは自分の家に煉功点を立ち上げて、村の人々と周辺の村の30人の法輪功学習者に修煉の便宜を提供した。

 1999年7月、中共江沢民政治無頼漢集団が大法に対する迫害を開始し、テレビや新聞などの媒体を利用して憚ることなく法輪大法を誣告して罪に陥れた。世の中の人々が中共の嘘に騙されて、罪のない大法を敵視しているのを見て、肖さんの家族はみな心を痛めた。人間は人間としての道義と良知を持つべきで、法輪大法が彼らの心身にもたらした巨大な変化を考えると大法のためになんとか公平な話をしなければならないと決めた。1999年7月の下旬、肖鵬さん一家11人は陳情のために北京へ行ったが、結局5人が北京公安局に不法逮捕されて北京豊台体育館に拘禁された。そこで肖鵬さんは警察から殴打された。4日後、彼らは錦州に送還されたが、その後は義県求道峰派出所につれて行かれて、肖鵬さんはそこでまた悪警の張春風から殴ったり蹴ったりの暴力に遭った。それから義県留置場に移動されて15日間に亘る不法拘束をされてから、やっと家に帰ることができた。

 1999年9月の下旬、肖鵬さんは彼の三番目の妹の肖彩虹さんと一緒に陳情のためにまた上京した。しかし彼らは唐山駅で唐山警察に不法逮捕されて、小屋に閉じ込められた。旧暦の8月14日、肖鵬さん兄弟は義県に送還されて、留置場に閉じ込められた。肖鵬さんは留置場所長の王岩と教育管理担当の卞志剛、刑事犯の楊国涛から何度もめったうちされて、両足が腫れ上がり、曲げることすらできず、用を済ませる時でさえしゃがむことができず人に支えられる状態だった。悪人らはまた彼の体に冷水や塩水をかけて、しかも重さ9キロもある足かせをかけた。1999年10月29日、肖鵬さんは不法にも三年の判決を言い渡されて、錦州教養院に移って引き続き迫害を受けた。肖彩虹さんも同じく塩水をかけられる、足かせをかけられるなどの苦しみを加えられた。彼女は40日間の不法拘留後、また義県政保課長の楊玉祥から3000元ものお金を恐喝された。それでやっと留置場から出てくることができた。しかし悪警らは依然として彼女を家に直接帰らせず、九道峰養老院に送り込んでそこにいる老人たちの世話をするよう強制した。20日以上経ってから、やっと家に帰った。(このとき楊玉祥はすでに悪報に遭って死亡) 

 1999年10月7日、肖家の他の大法弟子たちも同様に陳情のために北京に行ったが肖鵬さんの父親の肖玉彬さんと母親崔桂珍さんは逮捕されて75日間にものぼる不法拘禁を強いられた。肖鵬さんの一番目の妹の肖彩艶さんと義理の弟の趙文さんは綏中で2カ月にわたって不法拘留を強いられた。彼の二番目の妹の肖彩霞さんは前柳派出所所長から殴打され、しかも一晩中暖房管に縛り付けられて結局15日間にわたって拘留された。 

 肖鵬さんが不法労働教養を受けた後、2000年10月1日家族全員が陳情のために北京に行ったが、結果6人が北京で逮捕された。その後義県公安に送還されて肖鵬さんのご両親は二人とも不法にも3年の判決を言い渡された。一番上の妹の肖彩艶さんと義理の弟の趙文さんは葫芦島警察署で3年の判決を言い渡された (肖彩艶さんは子供が生後数カ月しか経っていないため、刑務所外服役を受けることになった)。二番目の妹の肖彩霞さんは2年の判決を受けた(判決を言い渡される前に彼女の母子はボイラー室に10日間拘禁されていた)。三番目の義理の弟の那全傑さんは3年の判決を言い渡された。この時、肖鵬さんの一番上の義理の弟の趙文さんは葫芦島教養院に送り込まれていた。肖鵬さんの父親の肖玉彬さんと三番目の義理の弟の那全傑さんは錦州教養院に送り込まれた。肖鵬さんの母親の崔桂珍さんと二番目妹の肖彩霞さんは瀋陽馬三家教養院に送り込まれた。錦州教養院には肖鵬さん、肖玉彬さんと那全傑さんが拘禁されていた。

 2002年5月、刑務所外の服役を受けていた肖鵬さんの一番上の妹の肖彩艶さんは郵便物を利用して真相を伝えたことが職場である葫芦島市綏中県業家小学校指導者に告発されて、すぐ馬三家教養院に入れられた。肖鵬さんの妻の郭文英さんは陳情のために北京に行って帰ってきて、前楊村の実家に行った時、真相を知らない村民に告発されて、前楊派出所に逮捕されて留置場に入れられた。そこで彼女は40日間以上に渡って拘禁され、しかも2000元のお金をゆすり取られた。

 錦州教養院の中で、肖鵬さんは邪悪の要求に協力せず、大法の「真善忍」修煉を堅持した。それによって彼は二大隊から電気椅子処刑、滅多打ち、小屋にしゃがんで座らせる、死人ベッドに縛り付ける、立ち罰、強制労働などさまざまな酷刑を強いられた。当時二大隊隊長であった李松風は恐喝のやり方で肖鵬さんにいわゆる「三書」を書くように強制し、何人かの悪警らが彼を取り囲んで昼夜続けて苦痛を加えた。極度の恐喝の中で肖鵬さんは耐えることができず、本心ではないものを書いてしまった。その後目が覚めた彼は厳正に声明を書いて、すべてを無効にすると発表し、大法に対する信念を固めた。李松風は悪警の楊廷倫と共謀して肖鵬さんを暗くて汚い空室に連れて行って鉄椅子(一種の刑具)に縛り付けて電気棒で電気ショックを与えた。

 2001年3月中旬のある日、李松風はまた馬勇将と共謀して肖鵬さんを二大隊の裏庭にある平屋へ連れて行って、鉄椅子に縛り付けて胸や腹、土踏まずに電気ショックを与えた。肖鵬さんの胸と腹の皮膚が焦げ臭くなってやっと手を引いた。李松風は以前も警察の馮子斌といっしょに肖鵬さんを610オフィスビルの一階に連れ込んで鉄椅子に縛り付けて焦げ臭くなるまで胸や腹に電気ショックを与えたことがある。何度にもわたる残虐な迫害により肖鵬さんは精神的に崩れ落ちた。その後は何人かの犯罪者を使って交替で監視を強化した。肖鵬さんが迫害に抗議することに腹を立てた李松風は、肖鵬さんを鉄椅子に縛り付けて気が狂ったかのように数十回の平手打ちを食わせ、しかも、「まだ誰か不服があるのか。不服があるならこの私に向かって来いよ!私に反対することは政府を反対するのと同じだ」と叫びまくった。 

 2001年4月7日、1年半にわたる悪警らによる残酷な迫害を受けつくして肖鵬さんは、とうとう精神状態がおかしくなった。錦州教養院は肖鵬さんを家に返すしかなかった。しかし肖鵬さんの家には誰もいないため、教養院は肖鵬さんの父親も家に帰さなければならなかった。

 家に戻ってきて肖鵬さんは意識が戻ったり、しばらくするとまたぼんやりしたりした。警察が殴りに来る、誰それがまたいじめに来るとか、ずっと恐怖の中で父親の後ろに隠れていた。警察を目にするだけで恐怖を感じ、夜になると警察が怖いと言って父親の手を離さなかった。しばらくして肖鵬さんの病状は悪化し、父親は彼を錦州健康精神病院に入院させたが、高額の治療費を支払うことができず退院させるしかなかった。2002年旧暦の4月29日、ついに肖鵬さんは極度の苦痛の中でわずか30歳の若さでこの世を去った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/29/138939.html