奇跡的な光景が私を励ましてくれた 文/大陸の大法弟子 小蓮
【明慧ネット2006年9月30日】2002年当時、非常に厳しく辛い日々を過ごしていた私は、まるで忍耐の極限まで来たように苦しんでいた。周りの私と共に修煉していた同修は、続々と警官に拉致され、中には70歳の老年の学習者もいた。私はいろいろな所に身を隠し、さまざまな圧力に耐え、非常に苦しんでいた。私はこの貴重な大法の書籍を手に持って、師父の写真を眺めながら、声をあげて泣き出した。まるで、出口の見つからない旅をしているように苦しんでいた。私は泣きながら師父に対して、もうこれ以上我慢できない、本当に我慢できないと言った。
突然、私は部屋中の至る所に透明な法輪が絶えず天井から降り注いで来るのを見た。私は、自分が泣いていたために目がくらんだかと思った。私は涙を拭き、このすべては真実であることに気づいた。天上を見れば、今の天上は非常に輝かしく、まるで太陽のように光っていた。その光は白い雲に遮られながらも、光は非常に柔和であって、全然まぶしいとは思わなかった。これは太陽だろうと私は思った。しかし、私は突然他の方向に太陽があるのに気づいた。この光は太陽ではなかった。そこで私は、目を凝らして見ると、白い雲のようにその上を覆っていたものが両側に拡散し、光もますます輝かしくなった。しかし、光はどんなに強くなっても決してまぶしいとは感じない。しばらくすると、光の真ん中から、黄色い物質が現れてきた。それを見れば、座っているような人の形をしていたものだった。白い光の中にいてはっきり見えない。そこで、この形、姿は『転法輪(第二巻)』に載っていた師父の法像と同じだった。立ったままで手を胸の前に立たせ、非常に荘厳で、慈しみに満ちた目で私を見ていた。空中が師父の法身でいっぱいだった。
およそ15分過ぎると、師父も消えていった。その白く輝く光の中に、たくさんの建物があり、しかも全部白く、非常に美しかった。私は師父の慈悲、仏法の力は、どれほど奥深いものであるか、決して人間の言葉では言い表すことのできないものだと実感した。その瞬間から、私がもともと感じていた苦痛、失望、呆然とした考えが全部消えた。私はたえず涙を流し、感動し、興奮し、あるいはこの恩に感謝したかったのだろう。
私は涙を拭き、純粋な一念を発した。私はここで衆生のために何をしたのだろうか。私は衆生を救い済度するため、自分のすべて、ひいては自分の命をも捨てる覚悟でいた。この同修たちは私を必要としている。そこで私は突然、いろいろな服装を見にまとった天界の人々たちが二列に並び、両側に向けて去っていくのが見えた。そこで一つの道ができた。ある青色の髪をした太った仏がその道を通って、私の前で止まった。その仏は、なんと私自身であった。師父が私を励ましてくれているのだ。世間のすべてを放下し、最後の道をしっかり歩めるようにと。それ以来、私は今日に至るまで、どのような邪悪の迫害であろうと、私は師父と法を信じて、一度たりとも動揺したことはなかった。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/30/138990.html)
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