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大法小弟子:大法は私にすべてを賜る


 文/繁曦

 【明慧ネット2006年9月15日】私は17歳で、96年に母親と一緒に法を得た。以前自分の修煉を文章にする考えは一度もおきなかったが、母親の励ましのもとでペンを手に取った時、心の中は神聖さに満ちた。

 (1)私は必ず修煉する

 99年私が中学校へ進学したとき、迫害がすでに始まっていた。ある日、学校は学生を集めて予防接種を行ない、しかも誰も漏れなく必ず受けることに決まっていて、同級生は皆医務室へ行ったが、自分だけが教室に座り込んでいた。暫くして先生が急いでやってきて、「ここで何をしている? 予防接種をしに行かなければ」と言った。私がしないと言うと、先生が怒って、校長先生に知らせ、私は事務室へ呼ばれて、「あなたは法輪功をやっているの?」と聞かれ、私は「はい」と答えた。そして校長先生は中共の従来の教育論から始めて、優しい説諭と恐喝で、最後に「もしあなたが続けてやって行くなら、この学校から除名する」と恐喝した。その時心の中で少し恐れる念があったが、やはり依然として「私は必ず修煉する」と固く答えた。そして大法のよさを教え、真相を伝えた。校長先生はびっくりして、子供がこのように意志の固い答えができるとは思わなかったようだ。それから何も言わなくなった。

 (2)無事だった

 私はふだんの生活の中でよくうっかりするので、17歳になってもまだ信号を見ることができない。ある日自転車で家に帰るとき、交差点に車がなかったので渡ろうとしたとき、横から一台のタクシーが急に走ってきたのが全く見えなかった。そして私と自転車は激しくタクシーにぶつかって、映画のシーンみたいに私と自転車は飛ばされた。

 運転手は30歳ぐらいの人で、急いで車から降りてきて、私を引っ張って起こし、17歳の私に「お姉ちゃんよ、こんなふうに自転車に乗ったらたいへんだよ、びっくりさせるなよ!」と叫び、どこか負傷していない? 病院へ行こうかと私に聞いた。私はすぐに大丈夫だと言って、心の中で私は大法弟子だからもちろん大丈夫だよと思って、自転車に乗って帰ろうと思ったとき、自転車が壊れて前へ進まなくなったのが分かったが、もうすでに暗くなっていたので、修理屋さんは全部閉まっているから、仕方なく無理やりカタカタ音を立てながら乗って帰った。

 帰ってよく見たら、膝が少し青くなっていて、あと手に少し擦り傷がある以外大丈夫だった。自転車を修理屋さんへ持って行ったら、もう修理できないと言われた。車輪がおおきく変形して、スポークが8本ぐらい折れて、自転車のハンドルが30度ぐらい曲がっていた。修理屋さんは「あなた丈夫だったんだね、運転手は賠償しなければね」と言った。私は笑いながら、心ではっきりと分かっていた。このすべては師父が守ってくれたからなのだ。

 (3)師父の話を聞く

 高校に進学してから、大きくなるに従って物事をわきまえてきて、私の成績はずっとクラスの上位にあった。しかし私はクラスメートみたいに徹夜をして勉強をしなかった。母親がよく言っている。「学生として、勉強はあなたの責任です。修煉者として、師父の話を聞けば難しいことはない」。私は学校にいる間の時間をよく利用して、家に帰ったら法を勉強して、煉功する。終末試験以外テキストを家に持ち帰ったことはない、しかし成績はずっと安定していた。

 大学を受ける前に、クラスメートはみな焦って、ある人は毎日昼も夜も勉強していた。私は穏やかな心理状態で、努力をするが、結果はすでに決まっていると思った。試験の前に師父に知恵を開いてくださるようお願いして、答える時落ち着いて対応して、問題はすらすらと解決した。

 合格発表後、私は驚喜した。すべての科目が予想より成績がよくでき、総点数はふだんより40点も高く、私は順調に理想の有名大学に進学できた。

 先生とクラスメートの驚嘆の目線、親友からの称賛に面して、私ははっきりと分かっていた。大法はこのすべてをくださったのである。大法の不思議は私のところで真実に体現した。

 私はまだまだ足りない部分がたくさんあり、もっと多くの弟子は更に精進の体験があると思うが、しかし、自分の経験から大法の威力を実証したく、同時にこの文章を通じて同修と修煉の体験を分かち合おうと思いました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/15/137872.html