私はパパとママが欲しい
【明慧ネット2006年9月28日】(チチハル市の大法弟子が代筆)
私はテンテンといいます。今年7歳になりました。99年9月以後、パパとママが警察に連れて行かれてから、祖母の家で育ちました。
99年9月のある日、警察が家に押し入り、無理やりにパパとママを連れて行きました。ママは私をしっかりと胸に抱きしめ、10カ月の私はとっても怖かったです。その後、警察は私たちを家に帰さず、ある古い建物に閉じ込め、毎日、4人が交代で、見張っていました。その建物はとても寒く、薄暗くて、とても恐ろしかった!
10月のある日、暗くなってから、突然、警察がやってきてパパを連れて行きました。翌日になっても帰って来ませんでした。私は窓に向かって「パパ!」と叫びました。ママが私を胸に抱きしめて泣きました。ママとこの建物に2カ月も閉じ込められていました。時々、御飯がない時もありました。ママは我慢していましたが、私は残しておいた冷たい饅頭を食べました。当時、私は歯が8本しか生えておらず、他の人たちに、「家なき子」と呼ばれていました。
11月のある夜、突然大勢の人が入って来て、ママに向かって、「法輪大法好?」
とママに聞き、ママは「好!」と言い、又、「煉功続けるか?」、ママは「続けます」と言いました。私は、怖くてママに抱きついて、離そうとしませんでした。警察に無理やり離されて、「ママ!」と泣き叫びました。その後、ママは警察に連れて行かれ、私は祖母の所に行きました。
祖母と祖父はしばらく泣いていました。天が引っくり返ったかのようでした。
2003年の春、ママが強制労働教養所で迫害を受けて入院し、大手術を受けました。
祖父と祖母は急いで病院に見舞いに行きましたが、警察に止められました。何度も
お願いにいって、やっとママに会えました。ママが階段に捕まって一段一段踏みしめるようにして、とても歩きにくそうに見えました。祖父と祖母はとっても悲しそうでした。
祖父と祖母はパパとママのことを話すと、いつも泣いてしまいます。私もパパとママに会いたいけれど、言えません。言えば祖父と祖母が悲しむだけです。
去年の夏、ママが帰ってきました。やっとママに会えました。ママの顔色は真っ青で、足に怪我をしていてゆっくり歩く事しかできませんでした。いつも横になっているママの側にくっ付いて、話を聞いていました。足は警察の拷問を受けたための後遺症です。善良なママが何故こんな仕打ちを受けなければならないのか? と思いました。
ママは私に宇宙の特性「真・善・忍」に従い、寛容な心を持つ子になるようと教えました。私は普通の子供と同じように、パパ、ママと暖かい家庭で一緒に暮らしたいのですが、また警察に連れて行かれるのを恐れ、ママは家に帰れなくなりました。「ママ、今何処にいるの? 食事をしていますか? 着るものはありますか? 寒くないですか?」と心の中で叫んでいます。
パパも刑務所で辛い毎日でしょう? 聞いた話では、パパは殴られて左の耳が聞こえなくなっているそうです。腰にも拷問の後遺症が残っています。警察はどうしてこんなに酷い事をするのですか? パパはいい人です! 会社で毎年模範と評価されていました。家でも良いパパでした。個人の利益は全然気にしない人です。私のパパを迫害しないでください!!
パパ、ママに会いたいです!!
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/9/28/138845.html)
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